【鍾馗前編】夢であいましょう
日に日に日照時間が減っていくと思ったら、あと1か月で冬至ですか…。早い、早すぎる。秋の夜長じゃなくなってしまう…。てゆうか寒い…。体調を崩さぬよう気を引き締めなければ…。てゆうか寒い…。
ということで、第5弾は『鍾馗』にしましょう。健康祈願したいから。
今回はどうしても長くなっちゃたので、前後編に分けてお届けします。
じゃあ、前編のはじまりはじまり~。
夜神楽で『鍾馗』が舞われるのは、『大蛇』のひとつ前、いわゆるトリ前です。
『大江山』で大興奮する→『黒塚』で一気に眠くなる→狐が出てきてちょっと起きる→結局『鍾馗』で寝る。この流れは夜神楽の鉄板。時刻はすでに明け方、午前4時頃なので寒いし眠いしつまんないし子供はだーれも見てません。
「一晩オールしたやつはすごい」という謎の子供ルールがあったんですけど、それをことごとく阻むのがこの演目。『鍾馗』の壁は厚かった。私も夜神楽でまともに見たの5回?3回?くらいしかありません。
なのにPRサイトや紹介文では「大蛇と並ぶ、これぞ石見神楽の華」って書いてある。
んーー??んー、んー?んーんんーー?(混乱)
こういう書き方するからねー、勘違いしちゃうビギナーさんが多いんですよ激怒!!オロチめっちゃ面白いからほかの演目見てみたいな!!→『鍾馗』がおススメなんだ!!見たーい!!→……うん。もういいや。ってなっちゃう人いっぱいいるんだよー!!!それで興味失っちゃう一見さんが星の数ほどいるんだよー涙!!『大江山』見てよー!!
いいですか、ビギナーのみなさん。
初めてなら『鍾馗』はやめておいた方がいい。
なぜかというと、『鍾馗』の良さは玄人にしか分からないから。
『鍾馗』は一神一鬼の舞。神と鬼が一対一で戦う石見神楽の基本形を備えていますが、刀を使った大立ち回りもなければ、面白可笑しい問答など一切ない。一体どこが見所なのか非常に分かり難いのです。
しかしながら、石見神楽を語る上でこんな言葉があります。
「『鍾馗』見ずして、舞を見たと思うなかれ。」
静謐かつ重厚。お囃子は拍動のリズムでどくり、どくりと鳴り響き、大きな神と大きな鬼が舞台を踏み均すかのように対峙します。ライブで言うなら、アコースティックやバラード曲。まさにシンプル・イズ・ベスト。無印良品。
そして、シンプルだからこそ、舞手の技量のみが問われます。
『塵輪』を見れば社中のレベルが分かるけど、底力を量るには『鍾馗』を見ろと神楽通の間で言われる通り、社中屈指の舞手は『鍾馗』か『天神』を任されます。
舞手も囃子もお客さんも、神様さえもが一体となって楽しむ石見神楽の中にあって、ただ一つ、自分と相手のたった二人きりで舞うのが『鍾馗』。他の一切は舞を注視することにのみ、心血を注がなくてはなりません。
このように、神楽の神髄かつ、舞手の力量が試される演目であるため、明け方に『鍾馗』を真剣に見る人はよっぽど神楽の目の肥えた方たちだけでしょう。初めて見る人がつまらないと思うのも当然のことです。
『鍾馗』は、玄人ファンにとっての花形演目なのです。
とはいえですね、この記事読んでる人はおそらく「鍾馗クソネミ」ってスマホで解説探してる方だと思うんだよね!!絶対そうでしょ!!?さっきまでLINEしてたでしょ!?通知きてるよ!!ピローン!!
だから!!私が!!!『鍾馗』を絶ッッッ対面白くしてやる…!!!
とゆことで、レッツ全力で解説&雑学!!!!!
まずは物語の前情報をご説明しなければ。
実は『鍾馗』、日本のお話ではありません。しかも夢オチという展開です。わけわかりませんよね。
この物語の時代背景は、中国の唐。世界三大美女のひとり・楊貴妃を寵愛したことで有名な玄宗皇帝にまつわる故事を下敷きにしています。
その内容は、熱病に魘される玄宗皇帝が「悪事を働く小鬼を厳めしい大鬼が喰う」という謎の夢から覚めるとあら不思議、病はすっかり良くなっていたというベタな話。
石見神楽では、病床の玄宗皇帝が見た夢の中で「病魔の化身である疫神」と「病を払う鍾馗大臣」が戦うという分かりやすい設定に書き換え、その戦いだけにフォーカスを当てるシンプルなストーリーに仕立てています。
またこのことから、病魔退散と病気平癒を祈る大変縁起の良い演目としても有名です。
そしてこの「鍾馗大臣」、なんと『大蛇』の「須佐之男命」と同一人物です。わけわかりませんよね。
このお話では、『天岩戸』で高天原を追われたスサノオは出雲ではなく中国に渡り鍾馗大臣と名を変え、時の皇帝を救ったというパラレルワールドな設定が追加されてます。
なんでこんなタイムリープが発生したかというと、どうも“病を治した”っていう記述がポイントらしい。
歴史の授業で習ったと思うんですけど、平安時代の思想「神仏習合」と「本地垂迹説」って聞いたことないですか?
ざっくり言うと、日本神話の神様たちと仏教説話の仏様たちは超似てるから実は同じなんじゃない?→てことは仏様のJapanese ver.=神様なんじゃね?という割と横暴な理論のことなんですけど、この時スサノオには牛頭天王が割り当てられたことに起因しています。
牛頭天王はかなりパンチのきいた神(?)様で、助けてくれた人は末代まで守るけど、テキトーにあしらったヤツは一族郎党皆殺しにしてやるという二面性を持っています。スサノオもDQNとヒーローの相反する顔を持つため、この二人の神様を一緒にしちゃったわけですね。
牛頭天王には超有名な「蘇民将来伝説」があって、赤絹の房を下げた茅の輪と『蘇民将来之子孫也』と書いた札を門前に飾れば災厄を逃れられると伝えられており、これが「茅の輪くぐり」や「端午の節句」の起源にもなったそうです。また、牛頭天王は疫病を司るため、これを丁重にお祀りすれば蘇民将来のように末代までお守りくださるとされ、厄除けや病魔退散の神様として崇められています*1。
つまり、鍾馗大臣=病気平癒&病魔退散=牛頭天王=スサノオとなったらしい。
こんな感じで、「神仏習合」がさらに「神仏習合」したというカオス状態なんですが、神楽自体は非常にシンプルかつあっさりとまとめられており、その点では理解しやすい演目と言えるでしょう。
【大江山雑学】私はピルクル派
本ブログを始めて1ヶ月が過ぎました。初めてスターやレビューを頂き、おっかなびっくり、大変うれしく思います。
特にコメントの方は、テンション崩壊気味なただの自己満ブログにお褒めの言葉を下さり、まことに感激しております。『大江山』、最後まで楽しめましたでしょうか?神楽を一層楽しむための手助けになりましたら幸いです。まだちょっと機能を使いこなせてないので、この場をかりてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
少しずつではありますが、アクセス数も伸びてきております。本ブログに興味を持って下さった方、アホみたいな長文を読破して下さった方、間違ってクリックしちゃった方、お越し下さりありがとうございました。この調子でゆるゆるがんばっていきたいと思います。
さて、いつもは一日平均0~2アクセスというほぼ私の日記状態の本ブログでしたが、先週末は土日合わせて約50アクセスもありました!!どうした!?週末は多少アクセス数が増える傾向にあるんですけど、良くて8くらいだったのでただただ驚愕。
そのころ私は「ン゛のぼりくるゥ!!のぼりくるゥ!!」と言いながら、「あーあー、もう1、2コでやめちまおうかな~」(←ただの飽き性)と前回記事を書いてたのでドキドキが止まらなかったです。
いやほんと、こちらこそタイムリーにヤル気を頂きまして、みなさんには重ね重ねお礼申し上げます。
なんでこんな僻地・島根県西部の山の中みたいなブログに迷いこんじゃったんだろうとアクセス解析してみると、みなさんなんだか『大江山』が気になるらしい…。そしてその理由は、ちょうど石見ケーブルビジョンで去年の競演大会の様子が放送されていたかららしい…。そして私は「ン゛のぼりくるゥ!!」と言いつつ前回記事を書きながら、実はこの模様をバッチリ見てました(笑)。
大都神楽団さんによる『大江山』、面白かったですね!!キャリア的にはまだまだ新生(注:他が超長いだけ)ですが、ほぼ毎週末、道の駅などで公演を積み重ねてらして、貫禄出てきたな!!って感じでした!お客さんとの距離感も絶妙でとっても楽しかったです。
ただ、どーーーしても気になるところがありまして、あの、例の宴会シーンあったじゃないですか、きゃわゆい子鬼さんがヤクルト飲んでたじゃないですか、あのとき、あまりにもナチュラルにヤクルト出てきたから、その瞬間頼光がヤクルトレディにしか見えなくて(ごめんなさい)。山伏版リュックに保冷機能ついてそうだなって(ごめんなさい)。
何はともあれ、大都神楽団さんこれからも応援してます!!!どうかご無礼お許しください(平謝り)。小鬼さんたちも腸内環境整えて立派な鬼になってね!!
ってなわけで、今回はみなさまのニーズにおこたえしてもう少し『大江山』やります。こらそこ、下心丸出しとか言うんじゃありません。ヤクルト飲んでおとなしくしてなさい!
前置き長かったから、サクッと行くよ!!それでは、レッツ雑学!!
まずはおじさんいろいろから。
本ブログでおじさんといえば、かの有名な八幡大明神おじさんのことを指します。(理由は【大江山解説】【紅葉狩解説】参照。)
前回私は「おじさんの正体は八幡大菩薩の権化とか遣いですぅー」と紹介しましたが、なんかいろいろ設定が違うじゃないですか。農民とか長老とか周辺住民とかなんなんだ!!さんそうろう、それがしは一体誰なんじゃい!!
でもまぁ、ここらへんは創作の範囲内。『戻り橋』や『羅生門』に比べれば、おじさんいろいろなんてきゃわゆいものです。さっと流しましょう。
ここで一行に渡される胡散臭いスペシャルなお酒の銘柄は「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」。読んで字の如しです。wiki先生にも同じ記述があったので、これは元のお話準拠でしょう。この設定はどこの神楽団でも一緒。違うの聞いたことないなー。
なんで“便”なんだろうと国語辞典を引きますれば、“便”とは都合のよいものという意味を持つらしい。「便利」とか「あす楽便」とか。このお酒やっぱりヤクルトだったんじゃ…?腸内環境を良くするんじゃ…?と思った私を誰か生温かい気持ちで許してください。
そんなこんなで鬼の棲処に辿り着いた一行は、宿敵・酒呑童子と対峙します。
この鬼面は「酒呑童子面」といいまして、大きくて真っ赤な顔が特徴的。鬼面の中では珍しく、異様さや不気味さのない、恐ろしくもたくましい顔つきをしています。ラグビー部のキャプテンみたいな感じだよね。(※イメージです。)
それがなー、最近は顔が赤くなくてギョロギョロした面が多いんだよなー。酒呑童子はお酒に鉱山!!真っ赤で精悍なお顔じゃないとダメなんだから!!あ、大都さんは酔っ払ってからちゃんと真っ赤な面に変えてたね!目も光ってたね!(ヨイショ!!)
「酒呑童子面」はバカでかくて踊るの大変そうですが、最近は広島の影響あってか、さらに巨大化の傾向にあります。
本来ならば、面は演目が進むごとに大きくなるという決まりごとがあるそうなんですが、酒呑童子でMAXのような気もするし、この決まりをきっちり守ってるとこもあんま見たことないような?髪の毛がブワァッサァァッ!ってなってるから大きく見えるだけなのかな??*1
親分は周りの子分たちに負けないよう迫力MAXでないといけませんので、面が巨大化していくのはある程度仕方ないかなと思ったり。
ところで、お面って面白くないですか??お面についてのアレコレ、いつかちゃんとやりたいです。いつか。
神楽面って基本顔一緒じゃね?使いまわしてね?って思っちゃうけど、それは勘違い。よーく見ると全員顔違うんだなー。すごいでしょ。
演目を追うごとに面が大きくなるというのも、若かりし日の八幡おじさんの武勇伝・『弓八幡』の「八幡面」はなんでもオリーブオイルかけちゃいそうな超小顔だけど、『大蛇』の須佐之男命さまはお顔もおヒゲもドォォン…!!って感じですよね。個人的には『鍾馗』の鬼・「疫神面」が意外に大きいことにびっくりです。鍾馗の鬼は小さいイメージだったので。
話を戻して次は宴会シーンについてのはなし。
この前、記事書きながら色々調べて思ったんですけど…、なんか…、広島と全然違う。え?これ『大江山』?ってレベルで違う…。まじか…。
「登場人物みんなでワイワイするのが『大江山』の魅力ですぅー」って紹介したのに、鬼が3匹のとこもあったし、宴会シーンも短いし、どちらかというと身バレをごまかす尋問シーンが見せ場なのかな。確かに緊張感のあるシーンだけど、全員でグダグダするあの感じが良いんだよ…、お客さんもグダグダ楽しむのが良いんだよ…。
これなら『戻り橋』や『羅生門』の方が人気なのも頷けます。女形に面の早がえにドラマチックですもんね。
ちなみに、『戻り橋』は『一条戻り橋』や『茨木』、『羅生門』は『羅城門』、『大江山』から数年後の頼光最後の大一番『土蜘蛛』は『葛城山』だったりと、演目名がいっぱいでややこしやー、ややこしやー。
まぁ今回一番の驚きは、たまに金太郎氏が消えることだね。
私と同じくらい金太郎氏の扱いが雑でびっくり。市場競争に淘汰されてまさかの金太郎 instrumental ver.もあるんですが、いないならいないで問題はなかった(爆)。
それに対し、石見神楽は専用の衣装があるくらい金太郎氏大好きで、衣装に金!!って書いてあって、ちょ!そんなとこに金!ってやっぱり金太郎氏は大事なお宝すみませんすみません自重しますごめんなさい痛いので大蛇のしっぽでぶたないでくださいヤクルトあげますから許してください。
(・・・金太郎氏がいないと見応えが減っちゃうなぁ、ってちゃんと思ってるよ。←ツンデレ)
最後にみなさんが一番気になっているのは蜘蛛の糸と仕掛けでしょう。
蜘蛛の糸はまんま「蜘蛛の糸」あるいは「投げ糸」という名前です。ググったら「ペーパーストリーマー」っていうカッチョイイ呼び方もあった…。「あす楽」なら翌日お届けも可能ですので、ご家庭でもお楽しみいただけます。
蜘蛛が天井をバーッってなる演出は中にドローンでも入ってんのか?と思いますよね。実は客席側から天蓋(舞台上部にある、クリスマスカラーのヒラヒラがいっぱいついた天井。) をつたって幕内へと紐が通してあり、演目の前に客席側にいる蜘蛛の留め具を外し、口寄せシーンで幕内側から紐を引っ張るという単純な仕組みになっています。知らなかった!!
でもいつかドローン型蜘蛛とか発明されそうな気がしません?それならホール公演でも蜘蛛が見れるのでとっても嬉しいな!!
ざっとこんなもんですかね。モヤモヤにお答えできましたでしょうか?
今回はいつにも増して大変失礼な内容になりましたが、はじめが真面目すぎたのと、腸内細菌が不足していたのが一番の原因だと思われます。
関係各位の皆さま、大変申し訳ございませんでした。乳酸菌とって深く反省したいと思います。
ビスコ食べて強い子になります。
【紅葉狩解説・雑学】合コンは戦場だ。
さむいさむい言ってましたが、ここ2、3日あったかいですね。ババアなので気温差がある方が体にこたえます。変温動物か。実はオロチなの…か…?気候が落ち着いてくれることを願ってやみません。
さて、お日和も良いことなので、今回は『紅葉狩』について。
紅葉狩りってキーワードに引っかかってくれないかなとかそういうことは考えていません。四季を愛でる風流な心でスタートです。
『紅葉狩』は厳密に言うと、石見神楽ではなく広島の神楽≒芸北神楽になります。島根の山間部の社中さんは舞うのかな?どうなのかな*1。
まだ石見神楽のメジャー演目も解説してないのに!!この、バァホ!!という声が聞こえてきそうですが、この時期逃したら二度と書けない気がするのでせっせと解説&雑学したいと思います。特別出演的な、エキシビジョン的な感じで読んでください。
まずは、広島の神楽について、ざっと説明。(前に書いた記事もご参考までに。→【小ネタ】)
広島の神楽って、ハッキリ言ってすごい面白いですよね。派手だし、何言ってるか分かりやすいし、舞も囃子もレベルが高くて、まー文句のつけようがない。完成度高ェなオイ。
なんでこんなに面白いのかといえば、とりわけ広島はショーとして発展してきた歴史を持ち、より大衆向け・お客さん向けの神楽を舞ってきたから。市場競争にもまれまくってるからですね。
歌舞伎の影響をモロに受けているため、演目・衣装・演出はまさに豪華絢爛。特に「白塗り」という化粧をして舞うのが石見神楽との一番の違いです。この特色を生かして、「姫もの」「鬼女もの」と呼ばれる女形がメインの華やかな演目を得意としています。
石見神楽の華が『大蛇』ならば、芸北神楽の華は間違いなく『紅葉狩』。得意の「鬼女もの」かつ、ストーリー展開もテンポ良く、十八番の「面の早替え」もあってとってもおススメ!!私的には、あんま演劇っぽいシーンがなくて、サクッと化けて戦って殺られるところが、この演目の一番評価したいポイントです。←横暴
いやいやいやいや、素敵なんだから!!『紅葉狩』!!レッツ解説&雑学!!
この物語の舞台は、信州は戸隠山――紅葉の錦彩る山中にて始まります。
戸隠山ググってみたけど、なんか岩山っぽいごつごつした感じですね。ホントにここで紅葉狩りしたの?「戸隠」とは前回の『天岩戸』で天照大神を岩戸から引っ張り出すとき、天手力男命がぶん投げた扉のことらしいですよ。お、偶然にもナイスバトン!!ちなみに、戸隠神社の御祭神は龍神さまです。
冒頭、偉そうな人が登場しますが、この2人、ただの迷子だからね。堂々としてんじゃないよ、もっと焦ろうよ。
チーム方向音痴のリーダーは信濃守・中納言平維茂(たいらのこれもち)、お付きの人は清原さんか小松さんかな。信濃=信州=自分の赴任先で、
「鹿狩り行こう!→紅葉キレイ!→ 迷子になった… ←今ココ 」って状態です。
この神楽の神楽歌は百人一首でおなじみ、
「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」
ぴったりすぎてちょっとワロタ。すさまじきぼっち感(笑)。他の演目と比べ若干頼りない2人ですが、無事におうちに帰るため、麓目指してがんばって山を下っていきます。
ところ変わって、怪しげなスモークの中から3人の鬼女が登場。
「あー、なんか腹減ったわー。山で迷子になったヤツ取って食うかー。」
「さんせーい。」
マック行こうかみたいな軽いノリで、一瞬にして、恐ろしい鬼女から豪華絢爛な打掛をまとった美女に変身します。
これは「面の早がえ」と言って、広島のお家芸の一つ。ふつう、面は紐でしばって頭の後ろで固定しますが、紐のない「くわえ面」という面を使用します。その名のとおり、面の裏側に口でくわえる部分がついているため、一瞬で取り外し可能な優れモノ。「くわえ面」あっての面の早がえです。
仕組みは分かってもなかなか見破れないところが広島のすごいところ。手を使わずに変えたりするもんね。どうなってんのアレ?ハンドパワー?
美女に化けた鬼たちが「早くカモこねーかなー」とウロウロしていると、ついに獲物を発見。
そして私の大好きなセリフ!!
「良き酒肴が…、ン゛のぼりくるゥ、のぼりくるゥ!!!!!」
イェーイ!のぼりくるゥ!もう大好きさ!ン゛ってなるところと、るゥは巻き舌なのがポイントね!レッツトるァイ!「ン゛のぼりくるゥ、のぼりくるゥ!!」フッフー!!
・・・落ち着こうね。(深呼吸)
みなさんお察しの通り、この獲物は維茂です。下ったんじゃないのかよ、のぼりきてるよ。鬼たちは急いで合コン宴の準備を始めます。
ずんずんのぼりきた維茂一行は、とびきりの美女に遭遇。
「こ、こんなとこで何やってるんですか?」
と必死にナンパします。でもまぁ、気持ちは分からないでもない。今まで迷子だったもんね、そりゃ誰かに会えて嬉しいわな。美女ならなおさらな。しかし、維茂は思ってたよりもしっかりしていて、こんな寂しい山中で女性だけなんておかしいと疑問に持ちます。
これに美女は艶然と答えて、いわく。
「紅葉がきれいで見とれてしまっていたの。アナタたちも一緒に紅葉狩り、しよ?」
まさかの逆ナーーーン!!おーーーっっと、慣れてる、慣れてるぞ大王どの!!あざとすぎ!!女に嫌われるタイプ!!でもさー、こーゆーのにほいほい引っかかるよねー、男はさー。今も昔も変わらないねー、男はさー。
そうして、良い典型例・維茂はあっさり紅葉狩りの酒宴へと招かれて、鬼女たちにそれはおいしく食べられましたとさ。おしまい。
うそうそうそうそうそ。うそです。まだ続きます。
空には赤く色付いた紅葉、地上には天女のごとし美女、手には美味い酒。
高級クラブかよ、このセレブめ!!(※維茂はセレブです。) 酒がすすむわ、すすむわ、維茂もお付きもほろ酔い気分。
紅葉の枝を持って踊ってくれるとこもあって、お客さんもみんな紅葉狩に来た気分。酔わせるねー!神楽団によっては、この辺でチラッと鬼女になったりして最高ですー。チラッとで良いんですよ、チラッとで。
べろんべろんになった維茂たちは、ついに眠りこけてしまいます。
よしきた!!イッシャーー!!きたきたきたきた!!とばかりに、腹をすかせた鬼女たちはついに本性を現し、狂喜乱舞。久々の酒肴が若い男の生き血とあってか、テンションアゲアゲです。完璧なコンビネーションで仕留めた獲物、いざ喰らわん、と維茂たちに襲い掛かった、次の瞬間。
謎のおっさんが出てきて、鬼女たちを追っ払ってしまいます。
この謎のおっさんは『大江山』でも登場した武勇の神様・八幡大菩薩。(石見神楽では『弓八幡』の主人公。) おっさん、オイシイとこ全部持ってくなー。神様だからなー。神楽では手に持った幣で維茂たちを泥酔状態から復活させますが、本当は絶対ビンタしたっしょ。これも維茂の日頃の信奉のお陰かな。どうかな。信じる者は救われる。
心優しき八幡大菩薩の活躍によって一命をとりとめた維茂は、授かった神剣を持って鬼女討伐へと向かいます。
ここから一転、バトルモードに。鬼女も完璧に鬼の面・衣装に様変わり、優美な世界観から火花舞い散る激闘へ、ラストスパートまで一気に駆け抜けます。
前半の鬼女の子分戦では「2対2」のオーソドックスな舞を披露。4人が前後左右入り乱れながら剣を交わします。
みんなが真ん中のほうでごちゃごちゃするやつ、あるじゃないですか。ぶつかるー、ぶつかるー、ぶつかりませーん、ってなるやつ*2。あれは単純に前から来る人を左へ左へとよけているだけらしいですね。
まぁ、知ったところで絶対ムリよ、怖いもん。しかも、鬼面って片方の目からしか見えてないんだってね。すごくね!?なんであんなガンガン踊れるの!?本当に本当に尊敬します。いっぱい練習してるんだろうなー。
後半のラスボス・鬼女大王戦は「2対1」のやや変則な3人舞。
鬼女大王がバーンと登場して蜘蛛の糸がジャーンと降って、うむ、贅沢じゃ!!この演出、広島では割とテンプレ化してますよね。いっつも思うんだけど、幕内から鬼が出てくるときに、神がカーテンみたいに蜘蛛の糸を上げててワオ紳士的。まるでお姫様扱い。私も蜘蛛の糸出せるようになろうかしら。
せっかくジェントルにエスコートしても、ここが最大の山場。派手な大立ち回りを見せなければなりません。
特に「鬼女もの」に関しては、前半部を女形や面の早がえで魅せる分、どうしてもそこに山場が行ってしまい、後半部が単調になりがちという弱点を抱えています。
ここをいかに情熱的に舞うか、かといって激しすぎれば良いというわけではなく、きちんと間を取ったメリハリのある立ち回りが必要で、このバランスが難しいところ。
石見神楽は前半部は割とぽけーっとしててもいい(横暴)ので最後の最後に全力投球できますが、前半部に気を遣う技や所作が求められる分、役者の集中力や疲労度の配分が難しいだろうと思います。なので、一役に二人つける場合もありますが、そうはいかないときだってあるしね…。うーん、胃が痛い…。おなか減ったな…。
そういう裏事情も抱えながら、見事、維茂は鬼女大王を打ち取ります。
激闘を見事に舞い切れば、本物の熱演。拍手・歓声・指笛の雨あられ。役者冥利に尽きるなぁ。でも、最後の最後の喜びの舞はぐるぐる回りすぎてふっとぶんじゃないかと思う。ものすごいGがかかってそう。
そうして維茂は、無事におうちへ帰ったのでした。めでたし。
いかがでしたか、『紅葉狩』。面白いっしょ!!目が離せないっしょ!!
今回は広島の神楽をご紹介しましたが、石見神楽と芸北神楽はとっても近い関係にあるので、島根でも広島の神楽が見れるし、逆もまた然りです。
wiki先生によると島根県西部から広島県北部にかけてさかんに行われる神楽は全部石見神楽なんだって。地元民としては全く別物の感覚なので、横暴すぎな気がしますが、それだけ密接な関係が保てている証拠なのかもしれません。
特に、石見神楽に見飽きたお年寄りは、年に1回か2回、競演大会で見ることのできる広島の舞いを心待ちにしてる人、多いんだそうな。
広島の神楽は“特別”出演。ぜひ一度、ご鑑賞あれ。
石見神楽よりハマっちゃうかもよ??
【天岩戸雑学】ジレとチョッキとベストの違いとは
やっぱ、ネタがあればはかどりますね。ちゃんと神楽見に行くべきだなー。書きたいことは山ほどあるんですが、低いテンションじゃ真面目でつまらん文章になってしまうので、この調子でさっくり行きたいところです。
ただし、ハイテンションに慣れてきたのか、文章が長くなってやばいです。さっくりやりましょう。さっくりと。
前回の記事で『天岩戸』の面白さをお伝えしたつもりですが…、ただただ神様たちをイジりまくって終わった感が否めません…。アレ…?面白さ…とは…?私の中のスサノオが爆発したということにしておこう…。
では、気を取り直して雑学スタートです。
鬼舞と違ったユニークな面白さが魅力の『天岩戸』。この演目の一番の見どころといったら、やはり登場人物の多様さに他ありません。
神楽は単純なので、鬼と神の対立構造をベースとしてます。良いヤツと悪いヤツ。なので、大抵、偉そうな人と悪そうな人しか出てきません。
しかし、『天岩戸』に関しては、女神・巫女・翁・神・男と非常にバラエティ豊かなメンツでお送りしています。それだけ日本の神々はキャラが強いってことなんですが、こと神楽においては、色んな衣装や面、舞や所作を一度に見られる贅沢な演目です。実は地味演目じゃないんだよ*1。
まずは、天照大神から。
天照大神は女神なので、神楽だと「姫」に当たります。若い女の人はみんな姫。「姫面」に白の狩衣、紅の袴をお召しになっており、この衣装はどこの神楽団もほぼ同じ。
ただ、手持ち道具がまちまちで、冒頭は「幣」・「鏡」、クライマックスはフラフープにヒラヒラがいっぱいついてる「茅の輪」を持って出てくる場合が多いですかねー。
このヒラヒラは実は炎を表しているので、丸くて燃える=太陽を連想してこのシーンで使ってるのかな。「茅の輪」といえば『鍾馗』の須佐之男命が持つ武器で、目に見えない病魔を映し出すスコープにして、病を焼き払う縁起物。「茅の輪くぐり」とかしたことないですかね、病魔退散・病気平癒にご利益がありますよ。
姉弟でオソロだね!!っていうと怒られちゃいそうなので、「茅の輪」ver.の荘厳な感じも良いけど、私はカワイイ「鏡」ver.を推したいな。アマテラスといえばやっぱ鏡だしね。
また、姫といっても高天原の最高神ですので、厳かな所作が求められます。が、初心者とか女の子でもガンガン入れるらしいですね。入ったり出たりするだけだし、何より舞わなくていいしね。アゴ休憩(=冠を固定させるためにアゴに紐が食い込む拷問のハーフタイム、の意。詳細は【解説】参照。)もあるし、おススメです。←?
この流れで、次は宇津女命。
面は「姫面」、衣装は天照大神と同じような狩衣に袴or女物の着物の上に白い狩衣が多いですかね。全身オレンジとかもあって、ほんと、センスの見せ所です。いいですか、センスの見せ所ですよ。
宇津女命は女神ですが、神を呼び寄せる巫女の特色が強いので右手に「鈴」を、左手に「三叉矛」(さんさほこ)を持ちます。
矛といっても武器ではなく祭礼用の道具の一つで、正式名称は「祭矛」と呼ぶらしい。なんで戦わないのに武器持ってんのかなーって気になってたんだよね!男性社会の荒波と戦ってんのかなーとか、自分に負けない!とか…。色々戦ってるものありそうだからかな…。
頭には金の冠かショート烏帽子を被って、「鈴」をシャランラしながら踊ります。宇津女命はアゴ休憩がないのでホント大変そう…。アゴ…痛いよね…。赤くなるよね…。
ウズメについて書きたいこといっぱいあったはずなんだけど、なんかアゴのことしか考えられないので次に行きます。
そんでもって、天児屋根命と布刀玉命。
コヤネはおヒゲがフサフサな「翁面」を必ずつけますが、衣装はジジイ感溢れるグレーっぽい地味めなもの、「まだまだ現役じゃい」ときんきらしたもの、色々です。老爺役なので小柄な人、および中腰がしんどいので若い人が中に入ることが多いそう。私は小さくてモフモフしててかわいいから統一感のある地味ジジ派だな。
フトダマはまあまあなおヒゲの「翁面」か、あっさり塩顔の「神面」の2パターンですかね。「翁面」だとWジジイがどうしよーってなってかわいいけど、「神面」で若返った途端に舎弟感増すよね。完全にコキ使われてんな、コリャ。衣装はコヤネ同様、色々です。
お二人とも、ロング烏帽子に「幣」と「鈴」を持ってます。先っちょにティッシュをふんだんにあしらった棒が「幣」。本当は、竹の棒に半紙か和紙が付けてあります。神社で祈祷してもらう時とか絶対見たことあるはず。神社には必ずある祭具の一つで、厄や禍を祓い清めます。ちなみに神楽で「幣」を持つことが出来るのは神様と天皇さまの偉い人だけ。
やっと最後に、天手力男命だー。たーぢーかーろーおー!!
タヂカロオの面は一応、フトダマと同じ「神面」に分類されますが、濃厚ソース顔だし何よりコワモテだし同じでいいのか?って思うよね。「神面」は翁・天狗以外の男の神様ならほぼ必ずつけるので、カテゴリーが広すぎるんですよ。なので、「神面」の中でも特に男らしさが強調されるものは「男面」と言ったりします。この「男面」も男性ホルモンがドバッてなっちゃってるのと、そうでないのと細かく分類があるので、それはまたいつか。つまるところ、タヂカロオは「男面」ってことですな。
衣装は色々あるけど、どうなのかなー。男らしい=武人的なイメージからか「陣羽織」という肩がサイヤ人みたいなチョッキ?今風に言うとジレ??着てることが多いかな。(サイヤ人みたいなジレって、、、化学反応起きた……!!)
短刀持って天岩戸をこじ開けようとしますよねー、だが私はこの演出反対派です。タヂカロオは手の神様なので、素手でいかんかい!!ってなる。なので短刀は道具にいれてあーげない。
そんで、引きこもりから無事脱却したアマテラスが幕内にハケると、最後の最後に全員面を外し、扇に持ちかえて、突如踊り狂います。
え?どゆこと…?テンション高すぎない…?って若干引くかもしれませんが、お話的にはアマテラスが出てきたところで終了していて、このダンシングタイムは「舞手が八百万の神々に感謝する喜びの舞」=カーテンコールとなっています。なので、神様役を演じるための面を取って、一舞手として踊るわけですね。まさにミュージカル。
こんなもんかな。
自分で書いててあれだけど、ホントに見どころいっぱいある。面白いね、『天岩戸』。
この神楽は奉納舞色が強めなのでハッキリ言って途中ダレちゃうんですが、こういうところに注目してみると、また違った面白さがあるんじゃないかな。
あと、今回は初めて調べものしながら書いたのでめっちゃ勉強になりましたー。衣装とか神楽面とかちゃんと知らないこといっぱいあって面白かったです。情報がとっちらかってたので、まとめて記事にできたらいいなと思います。
でも、しばらくはいいや。