秋の夜長に勝手に石見神楽を解説しようじゃないか。

島根西部の伝統芸能・石見神楽を妄想と主観で解説してます。ビギナー向け。

【天岩戸解説】レリゴー・レリゴー、岩戸あけるのよ

さむい。さむいしかない。冬越せそうにないです。みなさん、いかがお過ごしですか。

島根の冬は東部に行けばししり寒い、西部に行けば風が冷たい、山間部に行けば凍みる感じで逃げ場がありません。やだなー。日照時間も短いし。やだなー。

 

しかしながら世間は紅葉の季節、行楽シーズンなんですってね。

紅葉シーズン逃したら次は来年になっちゃうので、良いお日和に『紅葉狩』でも書いちゃおうかしら、石見神楽じゃないけど。などと考えておりましたが、寒いので却下です。第三弾は『天岩戸』です。

 

第一弾『八岐大蛇』の回でちょっと触れました、大蛇の物語の前日譚と申しましょうか、発端となった物語です。この演目自体は『恵比寿』と並んで大変縁起の良い神楽ですが、まぁー、ハッキリ言ってちょっと面白いよね引きこもりを引っ張り出すために神様たちがワイワイして、最後力づくで出しちゃうところがサイコーにロックです。結局力技かい。日本の神様はみんなユニークなので大好きです。

 

こんな感じで、見てる方としては「おめでたいー」とか「おもしろいー」とか笑って見られるんですが、やってる方は意外に中々しんどいらしいです。この神楽は立ち回りがなくセリフで物語を進行させる「口上舞」なので、それを覚えるのも一苦労、バトルシーンもないので舞で魅せるのも一苦労、そして大概、夜神楽ではみんな見てない、てゆうか来てないって何だか涙が出てきたよ。。。

 

『岩戸』面白いんだから!ナメてると痛い目見るから!それでは下剋上、スタート!!

 

事の発端は天上の神々の住まう地、高天原でおこります。

高天原を統べる最高神にして、地上をあまねく照らす太陽の神・天照大神(アマテラスオオミカミ)弟神・建速素戔嗚尊(タケハヤスサノオノミコト)の度重なる悪行に耐え兼ね、天岩戸にお隠れになってしまいます。

通常、アマテラスが唐突に出てきて、唐突にどっか行っちゃうんですが、内心はらわた煮えくり返ってますからね。注意です。女のひと怒らせたら厄介ですよ。

アマテラスは、先っちょにティッシュがついたはたきか、オサレなところでは手鏡を持っておられます。私的には、巫女でない女神は鏡を持っててほしいんですよねー。鈴は神様への呼び鈴ですから、神様自身が持つのはちょっと変。なので、幣か鏡を持っていて、頭にリッチな金の冠をかぶっている女の神様=アマテラスです。つまり、リッチピーポー=アマテラス。

次におもむろに登場するおじいさんはただのジジイではなく、天児屋根命(アマノコヤネノミコト)という祝詞の神様です。春日大社の御祭神・春日権化の方がよく知られていますかね。超有名な神様。なのにセリフは長いわ、中腰しんどいわで一番やりたくない役らしい。

そんなふとももプルプルなコヤネから、パニック中の高天原の様子が語られます。

世は一転、常闇となったYouはshockな世界をどうにかしようと、「ねぇ、ドアを開けて~」と懇願するもガン無視のアマテラスに困り果てた(´・ω・`)ショボーンなコヤネは占い=太占(ふとまに)の神様・太玉命(フトダマノミコト)を召喚します。祝詞と占いから分かるように祭式にまつわる神様で、昔の祭式=政治ですから、側近中の側近ということが伺えますね。

そんでもって、話し合いの結果ナイスな案が思いついたので、フトダマをパシリ使いに出して、天宇津女命(アメノウヅメノミコト)天手力男命(アマノタヂカロオノミコト)に助力を願います。

この案というのは、

『岩戸の前でレッツパーリーしたら、きっとさみしがりやさんなアマテラスは外を見てみたくなって扉をちょっとだけ開けるハズ。その瞬間タヂカロオが扉を全開にして二度と引き込もれないようにしてやるんだ、いいな分かったか?ウズメは神様たちを盛り上げる接待係だ。これはお願いではない、命令なのだよ…。』

という手段を選ばないユニークな作戦日本の神様はなりふりかまわないユニークで良いですよね。そういうとこ好き。

実はこれを考えたのはコヤネでもフトダマでもなく、高天原のプロフェッサー・思金神(オモイカネノカミ)が作戦立案、指揮していました。この神様は賢者にして参謀の役割を担う翁で、神楽のコヤネは姿も役割も思金神まんま。神楽で描かれているシーンでの本来のコヤネの役目は、アマテラスを岩戸から引きずり出す際に祝詞を唱え、鏡で光を反射させて目つぶし目くらませしたことだけです。フトダマもちょ、まぶしッてさせただけ。お二人とも、役得ですな。

ちなみにこのとき作られた勾玉は日本三大神器の一つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。鏡も同じく、八咫鏡(やたのかがみ)です。すごーい。勾玉は玉祖命(タマノオヤノミコト)鏡は伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)がお作りになりました。コレ知ってる人あんまいないよね。ぜひ覚えてほしい…。

 

そうして、場も整った、役者もそろった、いざ作戦実行!です。

 

まずはウズメのダンシングタイム。優美かつ情熱的な舞を披露します。ちょっと小ぶりな冠か、小さめの金の烏帽子を被って鈴をしゃんしゃんジングルベルするのが、アマテラスのお世話係だったといわれるウズメです。

頭の冠、すごいきれいですよね。キラキラ。ただしアゴがめっちゃ痛くなるよ実はあの冠、重たいわ高さもあるわでめっちゃ気ぃ遣います。しかもズレ防止のためにアゴでギュギュギュッと紐で結んで固定してあるのでもうただの拷問。なのにガンガン踊りまくってるし、広島とかイナバウワーしちゃってるし大丈夫!?とれない!?とれない!?ってなるわ!!あと、紐が食い込んでそうで、痛いよー痛いよーって思いながら見てます。鈴もね、案外重いんですよ。

そんなつらさを感じさせないほど、神楽では美しいウズメですが、神話だとストリップしてたんだって。そんで神様たちがげらげら笑って扉が開いたんだから、なんか神話って、エグイ人間の本質が如実に描かれててね。

この後、ウズメは芸事の神様として出世し、天孫降臨では神々の先導役に抜擢されました。ハッキリ言って、現代ならセクハラかつパワハラ、つーか犯罪なんですが、毅然と受けて立ったこの神様の勇気と情熱には心揺さぶられるものがあります。だから芸事の神様なのか。すごいなぁ。

 

お次に、これはチャンスとタヂカロオが岩戸をこじ開けようとします。なんかいきなりコワモテの人が出てくるし、お客に背を向けて暴れまくるし、どうしたの…心配…ってなりますが、これは神楽の演出です。

神話では、「ちょ、何で主役がいないのに盛り上がってんの!?」と気になったアマテラスがちょっとだけ岩戸を開けた瞬間、扉を全開にして、ムリヤリ引っ張り出したのは一瞬の出来事。なので、本当は全然暴れまくってません。神楽のイメージと違ってジブリに出てくる男の子みたいな神様なのです。この一瞬のためにイメトレとかしてたんだろうな…。カワイイな…。

 

そうしてついに、どうにか天岩戸をこじ開けると、中からアマテラスが出て来て、世界はもう一度光を取り戻します。

このシーン、広島の神楽だとホントすごい。照明バーーンッ!後光がブワァーッ!ちょ、まぶしッ!ってなる。初めて見たとき、なんかすごすぎて逆に笑いが止まらなかったです。神話だと「ぺいっ」って感じで引きずり出されるから、ギャップがすごくて。ダメだ、やっぱ今も笑うわ。

 

このお話の天岩戸とされる場所や史跡は意外にも全国各地にあるようです。また、類似の物語も世界各地にあり、日本のどこかの山間部にも独自の伝承があると聞きます。

自然の恵みなくして生きてはいけないことを、日本人は良く理解してきたからこそ、秋が来れば実りに感謝し、来る一年の豊作を祈る。『天岩戸』は神様たちの姿がユニークに描かれていますが、その実、日本人が大切にしてきたものを分かりやすく表現しているのかもしれません。

 

何はともあれ、無事に出てきてよかった、世界も光に包まれて良かった。やー、めでたし、めでたし!ヨカッタネ!と思っていると、最後の最後でコヤネから一言。

スサノオの身ぐるみ剥いで、財産没収して、身なりボロクソにして追放な。」

うひょーー!!きっつ!!コヤネ氏きっつ!!まぁ、命があるだけマシなのか??いやいや、野垂れ死ね!!って言ってるようなもんだからね…。自業自得だけど。

でも、この後伝説のDQNは伝説のヒーローになるんだから、人生何が起こるか分からないものです。(この後のスサノオについてはこちら→【大蛇超訳】)

 

結びに、神楽の最初に大太鼓が語るプロローグがとってもすてき。

八百万の神遊び これぞ神楽の初めなる」

ほほーう。なるほど、なるほど。って気分になりませんか。良いよね、この言葉。

 

 

 

 

いやー、てゆうか、もうホント寒い。カムバック太陽!!

 

 

まぁ、夏になったらなったで暑くてイヤになるんだけどね。