秋の夜長に勝手に石見神楽を解説しようじゃないか。

島根西部の伝統芸能・石見神楽を妄想と主観で解説してます。ビギナー向け。

【紅葉狩解説・雑学】合コンは戦場だ。

さむいさむい言ってましたが、ここ2、3日あったかいですね。ババアなので気温差がある方が体にこたえます。変温動物か。実はオロチなの…か…?気候が落ち着いてくれることを願ってやみません。

 

さて、お日和も良いことなので、今回は『紅葉狩』について。

紅葉狩りってキーワードに引っかかってくれないかなとかそういうことは考えていません。四季を愛でる風流な心でスタートです。

 

『紅葉狩』は厳密に言うと、石見神楽ではなく広島の神楽≒芸北神楽になります。島根の山間部の社中さんは舞うのかな?どうなのかな*1

まだ石見神楽のメジャー演目も解説してないのに!!この、バァホ!!という声が聞こえてきそうですが、この時期逃したら二度と書けない気がするのでせっせと解説&雑学したいと思います。特別出演的な、エキシビジョン的な感じで読んでください。

 

まずは、広島の神楽について、ざっと説明。(前に書いた記事もご参考までに。→【小ネタ】)

 

広島の神楽って、ハッキリ言ってすごい面白いですよね。派手だし、何言ってるか分かりやすいし、舞も囃子もレベルが高くて、まー文句のつけようがない。完成度高ェなオイ。

なんでこんなに面白いのかといえば、とりわけ広島はショーとして発展してきた歴史を持ち、より大衆向け・お客さん向けの神楽を舞ってきたから。市場競争にもまれまくってるからですね。

歌舞伎の影響をモロに受けているため、演目・衣装・演出はまさに豪華絢爛。特に「白塗り」という化粧をして舞うのが石見神楽との一番の違いです。この特色を生かして、「姫もの」「鬼女もの」と呼ばれる女形がメインの華やかな演目を得意としています。

 

石見神楽の華が『大蛇』ならば、芸北神楽の華は間違いなく『紅葉狩』。得意の「鬼女もの」かつ、ストーリー展開もテンポ良く、十八番の「面の早替え」もあってとってもおススメ!!私的には、あんま演劇っぽいシーンがなくて、サクッと化けて戦って殺られるところが、この演目の一番評価したいポイントです。←横暴

 

 

いやいやいやいや、素敵なんだから!!『紅葉狩』!!レッツ解説&雑学!!

 

 

この物語の舞台は、信州は戸隠山――紅葉の錦彩る山中にて始まります。

戸隠山ググってみたけど、なんか岩山っぽいごつごつした感じですね。ホントにここで紅葉狩りしたの?「戸隠」とは前回の『天岩戸』天照大神を岩戸から引っ張り出すとき、天手力男命がぶん投げた扉のことらしいですよ。お、偶然にもナイスバトン!!ちなみに、戸隠神社の御祭神は龍神さまです。

 

冒頭、偉そうな人が登場しますが、この2人、ただの迷子だからね堂々としてんじゃないよ、もっと焦ろうよ。

チーム方向音痴のリーダーは信濃守・中納言平維茂(たいらのこれもち)お付きの人は清原さんか小松さんかな信濃=信州=自分の赴任先で、

「鹿狩り行こう!→紅葉キレイ!→ 迷子になった…  ←今ココ 」って状態です。

 

この神楽の神楽歌は百人一首でおなじみ、

「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」

ぴったりすぎてちょっとワロタ。すさまじきぼっち感(笑)。他の演目と比べ若干頼りない2人ですが、無事におうちに帰るため、麓目指してがんばって山を下っていきます。

 

ところ変わって、怪しげなスモークの中から3人の鬼女が登場。

「あー、なんか腹減ったわー。山で迷子になったヤツ取って食うかー。」

「さんせーい。」

マック行こうかみたいな軽いノリで、一瞬にして、恐ろしい鬼女から豪華絢爛な打掛をまとった美女に変身します。

これは「面の早がえ」と言って、広島のお家芸の一つ。ふつう、面は紐でしばって頭の後ろで固定しますが、紐のない「くわえ面」という面を使用します。その名のとおり、面の裏側に口でくわえる部分がついているため、一瞬で取り外し可能な優れモノ。「くわえ面」あっての面の早がえです。

仕組みは分かってもなかなか見破れないところが広島のすごいところ。手を使わずに変えたりするもんね。どうなってんのアレ?ハンドパワー?

 

美女に化けた鬼たちが「早くカモこねーかなー」とウロウロしていると、ついに獲物を発見。

そして私の大好きなセリフ!!

「良き酒肴が…、ン゛のぼりくるゥ、のぼりくるゥ!!!!!

イェーイ!のぼりくるゥ!もう大好きさ!ン゛ってなるところと、るゥは巻き舌なのがポイントね!レッツトるァイ!「ン゛のぼりくるゥ、のぼりくるゥ!!」フッフー!!

 

 

 

・・・落ち着こうね。(深呼吸)

 

みなさんお察しの通り、この獲物は維茂です。下ったんじゃないのかよ、のぼりきてるよ。鬼たちは急いで合コン宴の準備を始めます。

 

ずんずんのぼりきた維茂一行は、とびきりの美女に遭遇。

「こ、こんなとこで何やってるんですか?」

と必死にナンパします。でもまぁ、気持ちは分からないでもない。今まで迷子だったもんね、そりゃ誰かに会えて嬉しいわな美女ならなおさらな。しかし、維茂は思ってたよりもしっかりしていて、こんな寂しい山中で女性だけなんておかしいと疑問に持ちます。

これに美女は艶然と答えて、いわく。

「紅葉がきれいで見とれてしまっていたの。アナタたちも一緒に紅葉狩り、しよ?」

まさかの逆ナーーーン!!おーーーっっと、慣れてる、慣れてるぞ大王どの!!あざとすぎ!!女に嫌われるタイプ!!でもさー、こーゆーのにほいほい引っかかるよねー、男はさー。今も昔も変わらないねー、男はさー。

 

そうして、良い典型例・維茂はあっさり紅葉狩りの酒宴へと招かれて、鬼女たちにそれはおいしく食べられましたとさ。おしまい。

 

 

 

 

 

うそうそうそうそうそ。うそです。まだ続きます。

 

 

空には赤く色付いた紅葉、地上には天女のごとし美女、手には美味い酒。

高級クラブかよ、このセレブめ!!(※維茂はセレブです。) 酒がすすむわ、すすむわ、維茂もお付きもほろ酔い気分。

紅葉の枝を持って踊ってくれるとこもあって、お客さんもみんな紅葉狩に来た気分。酔わせるねー!神楽団によっては、この辺でチラッと鬼女になったりして最高ですー。チラッとで良いんですよ、チラッとで。

 

べろんべろんになった維茂たちは、ついに眠りこけてしまいます。

 

よしきた!!イッシャーー!!きたきたきたきた!!とばかりに、腹をすかせた鬼女たちはついに本性を現し、狂喜乱舞。久々の酒肴が若い男の生き血とあってか、テンションアゲアゲです。完璧なコンビネーションで仕留めた獲物、いざ喰らわん、と維茂たちに襲い掛かった、次の瞬間。

 

 

謎のおっさんが出てきて、鬼女たちを追っ払ってしまいます。

 

この謎のおっさんは『大江山』でも登場した武勇の神様・八幡大菩薩。(石見神楽では『弓八幡』の主人公。) おっさん、オイシイとこ全部持ってくなー。神様だからなー。神楽では手に持った幣で維茂たちを泥酔状態から復活させますが、本当は絶対ビンタしたっしょ。これも維茂の日頃の信奉のお陰かな。どうかな。信じる者は救われる。

 

心優しき八幡大菩薩の活躍によって一命をとりとめた維茂は、授かった神剣を持って鬼女討伐へと向かいます

 

ここから一転、バトルモードに。鬼女も完璧に鬼の面・衣装に様変わり、優美な世界観から火花舞い散る激闘へ、ラストスパートまで一気に駆け抜けます。

 

前半の鬼女の子分戦では「2対2」のオーソドックスな舞を披露。4人が前後左右入り乱れながら剣を交わします。

みんなが真ん中のほうでごちゃごちゃするやつ、あるじゃないですか。ぶつかるー、ぶつかるー、ぶつかりませーん、ってなるやつ*2。あれは単純に前から来る人を左へ左へとよけているだけらしいですね。

まぁ、知ったところで絶対ムリよ、怖いもん。しかも、鬼面って片方の目からしか見えてないんだってね。すごくね!?なんであんなガンガン踊れるの!?本当に本当に尊敬します。いっぱい練習してるんだろうなー。

 

後半のラスボス・鬼女大王戦は「2対1」のやや変則な3人舞。

鬼女大王がバーンと登場して蜘蛛の糸がジャーンと降って、うむ、贅沢じゃ!!この演出、広島では割とテンプレ化してますよね。いっつも思うんだけど、幕内から鬼が出てくるときに、神がカーテンみたいに蜘蛛の糸を上げててワオ紳士的。まるでお姫様扱い。私も蜘蛛の糸出せるようになろうかしら。

 

せっかくジェントルにエスコートしても、ここが最大の山場派手な大立ち回りを見せなければなりません。

特に「鬼女もの」に関しては、前半部を女形や面の早がえで魅せる分、どうしてもそこに山場が行ってしまい、後半部が単調になりがちという弱点を抱えています。

ここをいかに情熱的に舞うか、かといって激しすぎれば良いというわけではなく、きちんと間を取ったメリハリのある立ち回りが必要で、このバランスが難しいところ。

石見神楽は前半部は割とぽけーっとしててもいい(横暴)ので最後の最後に全力投球できますが、前半部に気を遣う技や所作が求められる分、役者の集中力や疲労度の配分が難しいだろうと思います。なので、一役に二人つける場合もありますが、そうはいかないときだってあるしね…。うーん、胃が痛い…。おなか減ったな…。

 

そういう裏事情も抱えながら、見事、維茂は鬼女大王を打ち取ります。

激闘を見事に舞い切れば、本物の熱演。拍手・歓声・指笛の雨あられ。役者冥利に尽きるなぁ。でも、最後の最後の喜びの舞はぐるぐる回りすぎてふっとぶんじゃないかと思う。ものすごいGがかかってそう。

 

 

そうして維茂は、無事におうちへ帰ったのでした。めでたし。

 

 

 

いかがでしたか、『紅葉狩』。面白いっしょ!!目が離せないっしょ!!

 

今回は広島の神楽をご紹介しましたが、石見神楽と芸北神楽はとっても近い関係にあるので、島根でも広島の神楽が見れるし、逆もまた然りです。

wiki先生によると島根県西部から広島県北部にかけてさかんに行われる神楽は全部石見神楽なんだって。地元民としては全く別物の感覚なので、横暴すぎな気がしますが、それだけ密接な関係が保てている証拠なのかもしれません。

 

特に、石見神楽に見飽きたお年寄りは、年に1回か2回、競演大会で見ることのできる広島の舞いを心待ちにしてる人、多いんだそうな。

 

 

 

広島の神楽は“特別”出演。ぜひ一度、ご鑑賞あれ。

 

石見神楽よりハマっちゃうかもよ??

 

*1:追記:山間部の社中さんで保持演目にされてるところありましたね!勉強不足で申し訳ありません。ただ、広島の様式で舞われているようでしたので、やはり『紅葉狩』は石見神楽と言うよりも芸北神楽固有の演目に分類されると思います。山間部では広島弁を使いますし、文化的には北広島地域とそっくりですよね。買い物もパルコの方が良いものいっぱいありますしね。

*2:「八つ花」のこと。

【天岩戸雑学】ジレとチョッキとベストの違いとは

やっぱ、ネタがあればはかどりますね。ちゃんと神楽見に行くべきだなー。書きたいことは山ほどあるんですが、低いテンションじゃ真面目でつまらん文章になってしまうので、この調子でさっくり行きたいところです。

ただし、ハイテンションに慣れてきたのか、文章が長くなってやばいです。さっくりやりましょう。さっくりと。

 

前回の記事で『天岩戸』の面白さをお伝えしたつもりですが…、ただただ神様たちをイジりまくって終わった感が否めません…。アレ…?面白さ…とは…?私の中のスサノオが爆発したということにしておこう…。

 

では、気を取り直して雑学スタートです。

 

鬼舞と違ったユニークな面白さが魅力の『天岩戸』。この演目の一番の見どころといったら、やはり登場人物の多様さに他ありません。

神楽は単純なので、鬼と神の対立構造をベースとしてます。良いヤツと悪いヤツ。なので、大抵、偉そうな人と悪そうな人しか出てきません。

しかし、『天岩戸』に関しては、女神・巫女・翁・神・男と非常にバラエティ豊かなメンツでお送りしています。それだけ日本の神々はキャラが強いってことなんですが、こと神楽においては、色んな衣装や面、舞や所作を一度に見られる贅沢な演目です。実は地味演目じゃないんだよ*1

 

まずは、天照大神から。

天照大神は女神なので、神楽だと「姫」に当たります。若い女の人はみんな姫。「姫面」に白の狩衣、紅の袴をお召しになっており、この衣装はどこの神楽団もほぼ同じ。

ただ、手持ち道具がまちまちで、冒頭は「幣」・「鏡」、クライマックスはフラフープにヒラヒラがいっぱいついてる「茅の輪」を持って出てくる場合が多いですかねー。

このヒラヒラは実は炎を表しているので、丸くて燃える=太陽を連想してこのシーンで使ってるのかな。「茅の輪」といえば『鍾馗』の須佐之男命が持つ武器で、目に見えない病魔を映し出すスコープにして、病を焼き払う縁起物。「茅の輪くぐり」とかしたことないですかね、病魔退散・病気平癒にご利益がありますよ。

姉弟でオソロだね!!っていうと怒られちゃいそうなので、「茅の輪」ver.の荘厳な感じも良いけど、私はカワイイ「鏡」ver.を推したいな。アマテラスといえばやっぱ鏡だしね。

また、姫といっても高天原最高神ですので、厳かな所作が求められます。が、初心者とか女の子でもガンガン入れるらしいですね。入ったり出たりするだけだし、何より舞わなくていいしね。アゴ休憩(=冠を固定させるためにアゴに紐が食い込む拷問のハーフタイム、の意。詳細は【解説】参照。)もあるし、おススメです。←?

 

この流れで、次は宇津女命

面は「姫面」、衣装は天照大神と同じような狩衣に袴or女物の着物の上に白い狩衣が多いですかね。全身オレンジとかもあって、ほんと、センスの見せ所です。いいですか、センスの見せ所ですよ

宇津女命は女神ですが、神を呼び寄せる巫女の特色が強いので右手に「鈴」を、左手に「三叉矛」(さんさほこ)を持ちます。

矛といっても武器ではなく祭礼用の道具の一つで、正式名称は「祭矛」と呼ぶらしい。なんで戦わないのに武器持ってんのかなーって気になってたんだよね!男性社会の荒波と戦ってんのかなーとか、自分に負けない!とか…。色々戦ってるものありそうだからかな…。

頭には金の冠かショート烏帽子を被って、「鈴」をシャランラしながら踊ります。宇津女命はゴ休憩がないのでホント大変そう…。アゴ…痛いよね…。赤くなるよね…。

ウズメについて書きたいこといっぱいあったはずなんだけど、なんかアゴのことしか考えられないので次に行きます。

 

そんでもって、天児屋根命と布刀玉命

コヤネはおヒゲがフサフサな「翁面」を必ずつけますが、衣装はジジイ感溢れるグレーっぽい地味めなもの、「まだまだ現役じゃい」ときんきらしたもの、色々です。老爺役なので小柄な人、および中腰がしんどいので若い人が中に入ることが多いそう。私は小さくてモフモフしててかわいいから統一感のある地味ジジ派だな。

フトダマはまあまあなおヒゲの「翁面」か、あっさり塩顔の「神面」の2パターンですかね。「翁面」だとWジジイがどうしよーってなってかわいいけど、「神面」で若返った途端に舎弟感増すよね完全にコキ使われてんな、コリャ。衣装はコヤネ同様、色々です。

お二人とも、ロング烏帽子に「幣」と「鈴」を持ってます。先っちょにティッシュをふんだんにあしらった棒が「幣」。本当は、竹の棒に半紙か和紙が付けてあります。神社で祈祷してもらう時とか絶対見たことあるはず。神社には必ずある祭具の一つで、厄や禍を祓い清めます。ちなみに神楽で「幣」を持つことが出来るのは神様と天皇さまの偉い人だけ

 

やっと最後に、天手力男命だー。たーぢーかーろーおー!!

タヂカロオの面は一応、フトダマと同じ「神面」に分類されますが、濃厚ソース顔だし何よりコワモテだし同じでいいのかって思うよね。「神面」は翁・天狗以外の男の神様ならほぼ必ずつけるので、カテゴリーが広すぎるんですよ。なので、「神面」の中でも特に男らしさが強調されるものは「男面」と言ったりします。この「男面」も男性ホルモンがドバッてなっちゃってるのと、そうでないのと細かく分類があるので、それはまたいつか。つまるところ、タヂカロオは「男面」ってことですな。

衣装は色々あるけど、どうなのかなー。男らしい=武人的なイメージからか「陣羽織」という肩がサイヤ人みたいなチョッキ?今風に言うとジレ??着てることが多いかな。(サイヤ人みたいなジレって、、、化学反応起きた……!!)

短刀持って天岩戸をこじ開けようとしますよねー、だが私はこの演出反対派です。タヂカロオは手の神様なので、素手でいかんかい!!ってなる。なので短刀は道具にいれてあーげない。

 

そんで、引きこもりから無事脱却したアマテラスが幕内にハケると、最後の最後に全員面を外し、扇に持ちかえて、突如踊り狂います

え?どゆこと…?テンション高すぎない…?って若干引くかもしれませんが、お話的にはアマテラスが出てきたところで終了していて、このダンシングタイムは「舞手が八百万の神々に感謝する喜びの舞」=カーテンコールとなっています。なので、神様役を演じるための面を取って、一舞手として踊るわけですね。まさにミュージカル。

 

 

 

こんなもんかな。

自分で書いててあれだけど、ホントに見どころいっぱいある。面白いね、『天岩戸』。

この神楽は奉納舞色が強めなのでハッキリ言って途中ダレちゃうんですが、こういうところに注目してみると、また違った面白さがあるんじゃないかな。

あと、今回は初めて調べものしながら書いたのでめっちゃ勉強になりましたー。衣装とか神楽面とかちゃんと知らないこといっぱいあって面白かったです。情報がとっちらかってたので、まとめて記事にできたらいいなと思います。

 

 

 

 

でも、しばらくはいいや。

 

*1:数多くの神楽の教科書をお書きになった矢富先生によると、「この舞は児屋根命が翁舞、太玉命は神舞、大神と宇津女命が女舞、手力男命は荒舞というように、それぞれの舞方が組み合わされているのが特徴。宇津女命は女舞といっても、足を床に叩きつけるように舞い、厳粛に舞う大神とは対照的に舞う必要がある」とのこと。着眼点間違ってなくてホッとしました~、良かった~。(矢富巌夫『石見神楽』より。)

【天岩戸解説】レリゴー・レリゴー、岩戸あけるのよ

さむい。さむいしかない。冬越せそうにないです。みなさん、いかがお過ごしですか。

島根の冬は東部に行けばししり寒い、西部に行けば風が冷たい、山間部に行けば凍みる感じで逃げ場がありません。やだなー。日照時間も短いし。やだなー。

 

しかしながら世間は紅葉の季節、行楽シーズンなんですってね。

紅葉シーズン逃したら次は来年になっちゃうので、良いお日和に『紅葉狩』でも書いちゃおうかしら、石見神楽じゃないけど。などと考えておりましたが、寒いので却下です。第三弾は『天岩戸』です。

 

第一弾『八岐大蛇』の回でちょっと触れました、大蛇の物語の前日譚と申しましょうか、発端となった物語です。この演目自体は『恵比寿』と並んで大変縁起の良い神楽ですが、まぁー、ハッキリ言ってちょっと面白いよね引きこもりを引っ張り出すために神様たちがワイワイして、最後力づくで出しちゃうところがサイコーにロックです。結局力技かい。日本の神様はみんなユニークなので大好きです。

 

こんな感じで、見てる方としては「おめでたいー」とか「おもしろいー」とか笑って見られるんですが、やってる方は意外に中々しんどいらしいです。この神楽は立ち回りがなくセリフで物語を進行させる「口上舞」なので、それを覚えるのも一苦労、バトルシーンもないので舞で魅せるのも一苦労、そして大概、夜神楽ではみんな見てない、てゆうか来てないって何だか涙が出てきたよ。。。

 

『岩戸』面白いんだから!ナメてると痛い目見るから!それでは下剋上、スタート!!

 

事の発端は天上の神々の住まう地、高天原でおこります。

高天原を統べる最高神にして、地上をあまねく照らす太陽の神・天照大神(アマテラスオオミカミ)弟神・建速素戔嗚尊(タケハヤスサノオノミコト)の度重なる悪行に耐え兼ね、天岩戸にお隠れになってしまいます。

通常、アマテラスが唐突に出てきて、唐突にどっか行っちゃうんですが、内心はらわた煮えくり返ってますからね。注意です。女のひと怒らせたら厄介ですよ。

アマテラスは、先っちょにティッシュがついたはたきか、オサレなところでは手鏡を持っておられます。私的には、巫女でない女神は鏡を持っててほしいんですよねー。鈴は神様への呼び鈴ですから、神様自身が持つのはちょっと変。なので、幣か鏡を持っていて、頭にリッチな金の冠をかぶっている女の神様=アマテラスです。つまり、リッチピーポー=アマテラス。

次におもむろに登場するおじいさんはただのジジイではなく、天児屋根命(アマノコヤネノミコト)という祝詞の神様です。春日大社の御祭神・春日権化の方がよく知られていますかね。超有名な神様。なのにセリフは長いわ、中腰しんどいわで一番やりたくない役らしい。

そんなふとももプルプルなコヤネから、パニック中の高天原の様子が語られます。

世は一転、常闇となったYouはshockな世界をどうにかしようと、「ねぇ、ドアを開けて~」と懇願するもガン無視のアマテラスに困り果てた(´・ω・`)ショボーンなコヤネは占い=太占(ふとまに)の神様・太玉命(フトダマノミコト)を召喚します。祝詞と占いから分かるように祭式にまつわる神様で、昔の祭式=政治ですから、側近中の側近ということが伺えますね。

そんでもって、話し合いの結果ナイスな案が思いついたので、フトダマをパシリ使いに出して、天宇津女命(アメノウヅメノミコト)天手力男命(アマノタヂカロオノミコト)に助力を願います。

この案というのは、

『岩戸の前でレッツパーリーしたら、きっとさみしがりやさんなアマテラスは外を見てみたくなって扉をちょっとだけ開けるハズ。その瞬間タヂカロオが扉を全開にして二度と引き込もれないようにしてやるんだ、いいな分かったか?ウズメは神様たちを盛り上げる接待係だ。これはお願いではない、命令なのだよ…。』

という手段を選ばないユニークな作戦日本の神様はなりふりかまわないユニークで良いですよね。そういうとこ好き。

実はこれを考えたのはコヤネでもフトダマでもなく、高天原のプロフェッサー・思金神(オモイカネノカミ)が作戦立案、指揮していました。この神様は賢者にして参謀の役割を担う翁で、神楽のコヤネは姿も役割も思金神まんま。神楽で描かれているシーンでの本来のコヤネの役目は、アマテラスを岩戸から引きずり出す際に祝詞を唱え、鏡で光を反射させて目つぶし目くらませしたことだけです。フトダマもちょ、まぶしッてさせただけ。お二人とも、役得ですな。

ちなみにこのとき作られた勾玉は日本三大神器の一つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。鏡も同じく、八咫鏡(やたのかがみ)です。すごーい。勾玉は玉祖命(タマノオヤノミコト)鏡は伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)がお作りになりました。コレ知ってる人あんまいないよね。ぜひ覚えてほしい…。

 

そうして、場も整った、役者もそろった、いざ作戦実行!です。

 

まずはウズメのダンシングタイム。優美かつ情熱的な舞を披露します。ちょっと小ぶりな冠か、小さめの金の烏帽子を被って鈴をしゃんしゃんジングルベルするのが、アマテラスのお世話係だったといわれるウズメです。

頭の冠、すごいきれいですよね。キラキラ。ただしアゴがめっちゃ痛くなるよ実はあの冠、重たいわ高さもあるわでめっちゃ気ぃ遣います。しかもズレ防止のためにアゴでギュギュギュッと紐で結んで固定してあるのでもうただの拷問。なのにガンガン踊りまくってるし、広島とかイナバウワーしちゃってるし大丈夫!?とれない!?とれない!?ってなるわ!!あと、紐が食い込んでそうで、痛いよー痛いよーって思いながら見てます。鈴もね、案外重いんですよ。

そんなつらさを感じさせないほど、神楽では美しいウズメですが、神話だとストリップしてたんだって。そんで神様たちがげらげら笑って扉が開いたんだから、なんか神話って、エグイ人間の本質が如実に描かれててね。

この後、ウズメは芸事の神様として出世し、天孫降臨では神々の先導役に抜擢されました。ハッキリ言って、現代ならセクハラかつパワハラ、つーか犯罪なんですが、毅然と受けて立ったこの神様の勇気と情熱には心揺さぶられるものがあります。だから芸事の神様なのか。すごいなぁ。

 

お次に、これはチャンスとタヂカロオが岩戸をこじ開けようとします。なんかいきなりコワモテの人が出てくるし、お客に背を向けて暴れまくるし、どうしたの…心配…ってなりますが、これは神楽の演出です。

神話では、「ちょ、何で主役がいないのに盛り上がってんの!?」と気になったアマテラスがちょっとだけ岩戸を開けた瞬間、扉を全開にして、ムリヤリ引っ張り出したのは一瞬の出来事。なので、本当は全然暴れまくってません。神楽のイメージと違ってジブリに出てくる男の子みたいな神様なのです。この一瞬のためにイメトレとかしてたんだろうな…。カワイイな…。

 

そうしてついに、どうにか天岩戸をこじ開けると、中からアマテラスが出て来て、世界はもう一度光を取り戻します。

このシーン、広島の神楽だとホントすごい。照明バーーンッ!後光がブワァーッ!ちょ、まぶしッ!ってなる。初めて見たとき、なんかすごすぎて逆に笑いが止まらなかったです。神話だと「ぺいっ」って感じで引きずり出されるから、ギャップがすごくて。ダメだ、やっぱ今も笑うわ。

 

このお話の天岩戸とされる場所や史跡は意外にも全国各地にあるようです。また、類似の物語も世界各地にあり、日本のどこかの山間部にも独自の伝承があると聞きます。

自然の恵みなくして生きてはいけないことを、日本人は良く理解してきたからこそ、秋が来れば実りに感謝し、来る一年の豊作を祈る。『天岩戸』は神様たちの姿がユニークに描かれていますが、その実、日本人が大切にしてきたものを分かりやすく表現しているのかもしれません。

 

何はともあれ、無事に出てきてよかった、世界も光に包まれて良かった。やー、めでたし、めでたし!ヨカッタネ!と思っていると、最後の最後でコヤネから一言。

スサノオの身ぐるみ剥いで、財産没収して、身なりボロクソにして追放な。」

うひょーー!!きっつ!!コヤネ氏きっつ!!まぁ、命があるだけマシなのか??いやいや、野垂れ死ね!!って言ってるようなもんだからね…。自業自得だけど。

でも、この後伝説のDQNは伝説のヒーローになるんだから、人生何が起こるか分からないものです。(この後のスサノオについてはこちら→【大蛇超訳】)

 

結びに、神楽の最初に大太鼓が語るプロローグがとってもすてき。

八百万の神遊び これぞ神楽の初めなる」

ほほーう。なるほど、なるほど。って気分になりませんか。良いよね、この言葉。

 

 

 

 

いやー、てゆうか、もうホント寒い。カムバック太陽!!

 

 

まぁ、夏になったらなったで暑くてイヤになるんだけどね。

 

 

 

 

 

【小ネタ】ねぇ、知ってる~?

大江山の解説してから早1か月…。めっきり寒くなりましたね…。寒いと書く気が起こんなくて…、なんかテンションも10度くらい下がっちゃって…。と言いながら、今年は夜神楽にも行けたし、お金払って神楽見たし、ブログのネタ集めしながら割とちゃんと神楽充してました。他は充してないので、せっせと書いていきたいと思います涙。

 

大江山の解説を書くに当たり、DVDやネットで「大江山」関連の演目を見まくってたんですが…、なんか…、全然違うね。広島の神楽と内容が全然ちがーう。鬼3匹しか出ないし、蜘蛛の糸はバーってなるけど蜘蛛自体がビャーって出てくるところないし…。大江山ってのはパーリーピーポーですよ、とあれほど力説していたにも関わらず、広島では『戻り橋』『羅生門』の方が花形なんですね…。「面の早替え」もあるしね。ところ変われば、こんなにも違うんだなぁ~。

 

ということで、今回はひとくちに「神楽」といっても色々あるよってことをご説明いたしましょう。

 

地元民が言う「神楽」とは、実は大きく4つに分類されます。

一つめは、我らが「石見神楽」。島根県石見地方に伝わる、激しく力強い神楽

二つめは、「芸北神楽」。広島県北部で盛んな、歌舞伎と神楽を融合した豪奢な神楽。

三つめは、「大元神楽」。知る人ぞ知る、石見地方で脈絡と伝承されてきた奉納舞

四つめは、「出雲神楽」。神々の国・島根県出雲地方に伝わる、厳かな古式の奉納舞

 

 

「神楽」とは、その土地の神様に一年の感謝を捧げる儀式=神事から派生しました。 

なので、歴史の長さで言うと「出雲神楽」が一番長く、しかも古来のままの様式を現在にとどめています。超有名なのは、鹿島町にある出雲二宮・佐太神社の「佐陀神能。(神在月に全国の神様が訪れるのは出雲大社だけでなくて、佐太神社にもお越しになるんですよ。知ってた?)能の影響を受けたといっても完全に神事の一つで、神々に捧げる舞です。

そして、同じく神事の一環として石見地方で受け継がれてきたのが「大元神楽」石見版古式神と言ってもいいでしょう。多少突っ込んだ補足をすると、大元神楽は荒神神楽系統であり、厳しい自然から人や田畑お守り下さるよう、その土地の神様=大元さんをお祀りしてきた農民中心の信仰です。地元の神社で毎年祭事として行われるところもあれば、決まりによって2年、3年、6年に一回のところもあります。 

上記の2つは「四方拝」「剣舞」「御座舞」など演目の類似も見られますが、衣装や囃子は全く別物。テンポはゆったりめですが、徐々に熱を帯びてゆき、神憑りもあるらしい…。すごい…。「出雲神楽」と「大元神楽」は神事をルーツとする奉納舞、神様のための舞。心して鑑賞しましょう。

 

一方、「石見神楽」は温泉や道の駅など神社じゃなくても見れますよね。もちろん、秋祭りでは奉納神楽として各所の神社でも舞われますが、「鬼舞」=バトルものの演目が中心で、内容も各神楽団によって様々。形式に捉われず自由に舞うのが現在の「石見神楽」の形態です。

儀式舞はスローテンポなので、面白いと思えない人がどうしても多いんですよね。しょうがないんだけど。なので、儀式舞から一歩進化して、せっかく年に一度なんだから神様と一緒にみんなで盛り上がろう!!というのが石見神楽、ひいては石見人の気質。今やほぼ完全に商業ベースに乗っかってブームになってますが、古いものを途絶えさせないようにするための伝統の一つの形です。

 

さらに、神楽の商業ベースを加速させたのが「芸北神楽」。熱狂的な追っかけファンもいっぱいいるし、広島の競演大会では座敷に弁当までつくという、まるで大衆演劇みたいな感じです。(ちなみに一番良い席はバカ高くて引く。)

能や謡曲、歌舞伎をベースにしているだけに、基本、面をつけず白塗りで舞い、「姫もの」「鬼女もの」=女形がメインの演目が十八番なところが多いです。舞台も衣装も派手、物語はドラマチック。石見神楽は単純なので「鬼たおした!めでたし!スカッとした!」って感じですが、広島は悲劇ものやお涙頂戴ものもあって、「か、神楽なの…?心が痛むんだけど……」ってなる。見せ場も分かりやすいし、石見神楽ならダレまくる部分も容赦なくバッサリ切ってある*1ので、本当に面白いし見やすいです。石見神楽に見飽きたお年寄りたちは、広島好きな人いっぱいいますね。まげなけぇのぉ~。

 

この二つは儀式=形式よりも演出に重きを置くので、商業ベースでないとやってられません。逆の理由も然り。儲かればこそできることも増える、活気があればこそ挑戦できる。その分、各々が切磋琢磨しているため、ここ数年の進化には目を見張るものがあります。衣装もキレイになったし。このまま活気があればいいなー。

 

ちなみに私の好みはというと、大元神楽よりの石見神楽ですかね。あんまりきんきらきんきらしたり、せばしいのは苦手なもので。地味な衣装着て、地味に舞ってるの好きです。年とったからかな。あ、でも広島の神楽モノマネめっちゃ好き!!ななめのおじぎすごい好き!!今ハマってるのは、「ンのぼりくるゥ、のぼりくるゥ!!」。すき。。。

 

 

最後に、石見人の気質をうま~く表した和歌をご紹介。

ちはやふる ここも高天原なれば 集まりたまえ 四方の神々」

神様も人間もみんな一つになってお祭りを楽しむ感じがいいですよね。ひょっとすると、出雲地方よりも神様との距離が近しい気もします。石見人の調子乗ってるパーリーピーポー感滲み出る一首です。 

 

こんな感じで、ひとくちに「神楽」と言えどいっぱいあるんですよ。知ってた??

そういや、夜神楽シーズンが一段落ついて11月は共演大会シーズンですね。お気に入りの神楽、神楽団に出会えるといいですね!!もちろん再会できるのもいい!!

 

 

*1:石見神楽はそうは言っても儀式的な部分も大事にするので、基本的に口上や舞をはしょりません。だから口上ばっかでつまらないシーンや(特に『黒塚』)、なんかずっと踊ってるシーン(特に『黒塚』)はダルダルで誰も見てない(特に『黒塚』)んですけど、そのシーンこそ儀式的に重要だったり、教訓や作法を学ぶ大事なシーンだったりするので、そういうところは手を加えずにそのままにしておく、というスタンスで舞う社中さんが多いです。特に『五神』はその最たる演目です。(『黒塚』ではない。)