秋の夜長に勝手に石見神楽を解説しようじゃないか。

島根西部の伝統芸能・石見神楽を妄想と主観で解説してます。ビギナー向け。

【鍾馗後編】Dr.SHOWKI

⇒【前編】はコチラ

 

さて、やっと本編を追っていきましょう。ストーリーは「ウィルスvsキラーT細胞」なので単純明快です。

 

まずは、幕内から煌びやかな衣装をまとった鍾馗大臣が姿を現します。

鍾馗大臣の面は鍾馗面」といい、『大蛇』の「須佐之男面」とそっくりです。よく見りゃたくましいお顔とお髭が激似ですよね。『大蛇』は日本なので「烏帽子」を、『鍾馗』は中国なので「唐冠」というエビフライの尻尾みたいなお帽子を被っておられます。聖徳太子が被ってるアレですね。

手には「茅の輪」「十束の宝剣」を握り、衣装はどこもかしこもキラキラで超ド派手。けれどいやらしさは一切なく、威厳と風格、気品をも漂わせています鍾馗』の衣装は石見神楽の中で一番豪華と言われており、この豪華な衣装と重厚な舞との絶妙なバランスが見どころの一つ

神方(神様やヒーロー側)は基本的に鬼と比べて軽めの格好をしており、足元が野球部みたいになってる場合が多いんですが、鍾馗大臣の格好は鬼とほぼ同じです。ここらへんからも『鍾馗』が特別な演目だということがお分かりいただけますかね。

 

厳かに登場した鍾馗大臣は玄宗皇帝の病を取り除くべく、診察を開始します。

 

手に持ったでっかいクリスマスリースが「茅の輪」まわりのクリスマスカラーのヒラヒラは病を焼き払う炎を表しており、真ん中は病巣を見つけ出すスコープの役割を持つ最強最高の武器で縁起物です。(「茅の輪」についてはこちら参照→『天岩戸』)

「茅の輪」を覗いてうんうん頷きながらゆっくり動くのはCTスキャンした映像をじっくり見てる最中だから。鍾馗先生診察中につき、急患以外は声をかけないで下さい。

 

異常なし、異常なしと画像診断していると何やら黒い影が映ります。「どうやらここらへんが怪しそうだぞ…」といざ病魔の巣食う体内に入るべく、宝剣を逆手、正手に持ちかえつつメスを入れる鍾馗先生。いま手術中のランプが点きました。鍾馗先生、外科医なんですね金持ちそうです

 

神楽囃子をオペ中のBGMに慎重かつ大胆にメスを進めていくと、鍾馗先生の後ろの幕が不自然に揺れだします。中からガラの悪そうな声は聞こえるし、スモークも出てくるし、てゆうか足ちょっと出てるし、怪しいフラグ立ちまくりなので鍾馗先生はさらに慎重に「すり足」で近づいていきます

この「すり足」は神楽の基本技で片足だけなら鬼がよくしてますよね。神も鬼も両足でするのは『鍾馗』だけのような気がする。「すり足」=『鍾馗』って感じだなー。

一見難しそうな「すり足」ですが、実は少女時代の「Gee」と一緒なのでみなさんぜひお家で練習して下さい!!Aメロのカニ足ダンスと同じように足をハの字→逆ハの字→ハの字→・・・と繰り返すだけ!!超カンタン!!

ちなみに片足のすり足は「Genie」のサビ『恵比寿』の「首ふり」は「PAPARAZZI」のウララーラーと一緒など少女時代のダンスは神楽と同じ技いっぱい使ってるんですよねー!!ぷりばっこーん!!!

 

んで、二人楽しくGee Gee Geeしてばっかだと怒られちゃうから、いきなりにゅっと鬼棒が出てきます…と思ったらまた引っ込んじゃいます…と思ったらまた出てきたりとあ゛ーーーなんでそこで遊んでんの!!早く出て来いよ!!イライラするーあ゛ーーー!!しかも、普通だったら鬼が姿を現すのを神はじっと待ち構えるものですが、ちょっと!!鍾馗先生、どこ見てるんですか!!うしろにいるよ!!Gee Gee Geeしてんじゃないよ!! 

と、このように鬼が出たり引っ込んだり、神が鬼を無視してうんうん言っているのは全部演出です。まんまと踊らされました。踊るがStyleなのに

鍾馗』の鬼は疫神=病魔。ウィルスは目に見えませんよね。それは今も昔も同じで、「茅の輪」を通して見ないと疫神は目に映らないのです。だから鍾馗先生は首をひねりながら一生懸命に疫神を探しそれをあざ笑うかのように疫神は姿を捉えさせません

鍾馗の鬼は低く舞え」の通りに疫神は見つからないように隠れます。HIDE&SEEKのToday’s night。ちなみに玄人はこのシーンでの幕の使い方を見るらしい*1

 

 

そして、幕から鬼が姿を現します。

が、鍾馗先生は全く気づきません。どんなに疫神が近づいても、どんなに顔と顔とが近づいても、「茅の輪」を通してでなければ見えないのです。二人の距離感がおかしいのはこういう理由です。

ここの表現が『鍾馗』が難しいと呼ばれる所以鍾馗大臣はじっくりと、疫神はこざかしく。しかし手に汗握る緊迫感と高揚感が場を満たしていなければなりせん。このシーンを解説なしでも理解できるように舞えるかどうかが腕の見せ所です。

 

緊張がじりじりと登り詰めていき、ついに、疫神の姿を捉えます。

 

見つかってしまった疫神は先ほどと打って変わり、姿を大きく広げ鍾馗大臣を挑発してきます

「おお我はこれ。春の疫癘、夏瘧癘。秋の血腹に冬咳病。一切病の司。疫神とは我が事なり。」*2

疫癘(えきれい)とは天然痘、瘧癘(ぎゃくれい)はマラリア、血腹は重篤な下血、そして冬の風邪。全ての病はこの疫神の仕業であると自慢気に言い放つ姿は、先ほどのこざかしく、ちいさな姿からは想像出来ないほどに気味が悪い。

続けて疫神はこうも言います。

「幼きものはかみひしぎ、老いたるものは踏み殺し、また、元気さかんなるものと見るならば、五臓六腑に分け入って、肝のたばねを食いちぎる」と。

病気って本当にそうだな、と、医療が発展した現在でも実感します。縋るような想いで病気を治してくださいと祈ったのは、ここ数年ずっとでしたから。

 

 

鍾馗は宝剣を逆手に持ちかえ、疫神と激闘を繰り広げます。

 

大きく優雅に、かつ力強く大胆に。

一神一鬼の戦いに引き込まれるように立ち上る熱気に、空は段々と白んでゆきます。

 

そしてやっと疫神の首を捕らえ、茅の輪の中へと押し込めますが、これがなかなかに死なない。茅の輪で焼き切ろうとも寸でのところですり抜け、鍾馗の背後を小賢しく狙います。病気が目に見えなかった時代に、よくもここまで病の本質を理解していたなと昔の人の観察眼には恐れ入ります。

 

悪戦苦闘の末、再度茅の輪の中に捕えると、これで逃げられまいと宝剣を突き刺し、ついに疫神を封じ込めました

 

暴れ回り、小さくなるもまだ息のある鬼。 

とどめとばかりに渾身の力で宝剣を突き立てます。

 

もはや叶わぬと悟った疫神は、最後の力を振り絞り皇帝の体の内より出て行きました。

鍾馗大臣は見事、疫神を退け、皇帝を病魔より救い出したのです。

 

 

 

 

・・・いかかがでしたか、『鍾馗』。

 

物語も、舞も、すべてが重いですよね。好きになれそうですか?

 

 

鍾馗』はなぜこんなにも重いのか。

一神一鬼の戦いだから?しっかり舞わないと神楽が成立しないから?舞手の技量を見せないといけないから?

舞に関することであればいくつでも想像できるでしょう。

でもきっと、そのどれもが違います。

 

鍾馗』の重さは、舞手が生み出すものではないからです。

 

 

この重みは、何十年、何百年と積み重なってきた人々の祈りだと思います。

だからこそ鍾馗は肩を怒らせて、憤怒の形相で鬼を退治するのです。

 

 

この演目は素人が見ても分からないと言いました。

それは単純に舞に関する目が肥えてないから、という意味も含まれますが、この土地に住む人々が何年も何年も、ずっと『鍾馗』に捧げてきた願いを汲み取れないだろうから、というエゴイステックな心情が多分に含まれているからです。

 

 

社中で一番上手な人が舞い、一番良い衣装を着て、夜明け前の一番静かな時に舞う。

 

この祈りが必ず、神様のもとへ届くように。

 

今年も一年健康に過ごせますように、みんなが無事でありますようにと。

 

 

 

 

鍾馗』を本気で見たいのなら、ただ心をかたむけて見れば良いと思うのです。

祈りを込めて見れば、それで。

 

 

 

*1:「幕は揺れるから幕である。」とは私の尊敬する竹内大先生のお言葉。「幕を最大限に生かすのは、鍾馗の神と鬼である。この舞はここに集約される。・・・やがて両雄が幕をおいて、舞殿の中央で舞うようになってからはもう付録である。」とも。(竹内幸夫『私の神楽談義(1) 大元神楽』より。)

*2:口上マネしたい人用。「おおわれはこれ。はるのえきれい、なつぎゃくれい。あきのちはらにふゆがいびょう。いっさいやまいのつかさ。えきしんとはわがことなり。」レッツトライ!「おおわれはこれ」は神楽の決めゼリフなんだけど、たいがい巻き舌がすごくて「おおわれはこワれィ!」って聞こえるよね。

【鍾馗前編】夢であいましょう

日に日に日照時間が減っていくと思ったら、あと1か月で冬至ですか…。早い、早すぎる。秋の夜長じゃなくなってしまう…。てゆうか寒い…。体調を崩さぬよう気を引き締めなければ…。てゆうか寒い…。

 

ということで、第5弾は『鍾馗にしましょう。健康祈願したいから。

今回はどうしても長くなっちゃたので、前後編に分けてお届けします

 

 

じゃあ、前編のはじまりはじまり~。

 

 

夜神楽で『鍾馗』が舞われるのは、『大蛇』のひとつ前、いわゆるトリ前です。

大江山』で大興奮する→『黒塚』で一気に眠くなる→狐が出てきてちょっと起きる→結局『鍾馗』で寝る。この流れは夜神楽の鉄板。時刻はすでに明け方、午前4時頃なので寒いし眠いしつまんないし子供はだーれも見てません。

「一晩オールしたやつはすごい」という謎の子供ルールがあったんですけど、それをことごとく阻むのがこの演目。『鍾馗』の壁は厚かった。私も夜神楽でまともに見たの5回?3回?くらいしかありません。

 

なのにPRサイトや紹介文では「大蛇と並ぶ、これぞ石見神楽の華」って書いてある。

 

 

 

んーー??んー、んー?んーんんーー?(混乱)

 

 

こういう書き方するからねー、勘違いしちゃうビギナーさんが多いんですよ激怒!!オロチめっちゃ面白いからほかの演目見てみたいな!!→『鍾馗』がおススメなんだ!!見たーい!!→……うん。もういいや。ってなっちゃう人いっぱいいるんだよー!!!それで興味失っちゃう一見さんが星の数ほどいるんだよー涙!!大江山』見てよー!!

 

 

いいですか、ビギナーのみなさん。

初めてなら『鍾馗』はやめておいた方がいい

 

 

なぜかというと、鍾馗』の良さは玄人にしか分からないから。

 

 

 

鍾馗』は一神一鬼の舞。神と鬼が一対一で戦う石見神楽の基本形を備えていますが、刀を使った大立ち回りもなければ、面白可笑しい問答など一切ない。一体どこが見所なのか非常に分かり難いのです。

 

しかしながら、石見神楽を語る上でこんな言葉があります。

「『鍾馗』見ずして、舞を見たと思うなかれ。」 

静謐かつ重厚。お囃子は拍動のリズムでどくり、どくりと鳴り響き、大きな神と大きな鬼が舞台を踏み均すかのように対峙します。ライブで言うなら、アコースティックやバラード曲。まさにシンプル・イズ・ベスト。無印良品

そして、シンプルだからこそ、舞手の技量のみが問われます

塵輪』を見れば社中のレベルが分かるけど、底力を量るには『鍾馗』を見ろと神楽通の間で言われる通り、社中屈指の舞手は『鍾馗』か『天神』を任されます

舞手も囃子もお客さんも、神様さえもが一体となって楽しむ石見神楽の中にあって、ただ一つ、自分と相手のたった二人きりで舞うのが『鍾馗。他の一切は舞を注視することにのみ、心血を注がなくてはなりません。

 

このように、神楽の神髄かつ、舞手の力量が試される演目であるため、明け方に『鍾馗』を真剣に見る人はよっぽど神楽の目の肥えた方たちだけでしょう。初めて見る人がつまらないと思うのも当然のことです。

 

鍾馗』は、玄人ファンにとっての花形演目なのです。

 

 

とはいえですね、この記事読んでる人はおそらく鍾馗クソネミ」ってスマホで解説探してる方だと思うんだよね!!絶対そうでしょ!!?さっきまでLINEしてたでしょ!?通知きてるよ!!ピローン!!

 

 

だから!!私が!!!『鍾馗』を絶ッッッ対面白くしてやる…!!!

とゆことで、レッツ全力で解説&雑学!!!!!

 

 

まずは物語の前情報をご説明しなければ。

実は『鍾馗』、日本のお話ではありません。しかも夢オチという展開です。わけわかりませんよね。

この物語の時代背景は、中国の唐。世界三大美女のひとり・楊貴妃を寵愛したことで有名な玄宗皇帝にまつわる故事を下敷きにしています。

その内容は、熱病に魘される玄宗皇帝が「悪事を働く小鬼を厳めしい大鬼が喰う」という謎の夢から覚めるとあら不思議、病はすっかり良くなっていたというベタな話。

石見神楽では、病床の玄宗皇帝が見た夢の中で「病魔の化身である疫神」と「病を払う鍾馗大臣」が戦うという分かりやすい設定に書き換え、その戦いだけにフォーカスを当てるシンプルなストーリーに仕立てています。

またこのことから、病魔退散と病気平癒を祈る大変縁起の良い演目としても有名です。

 

そしてこの鍾馗大臣」、なんと『大蛇』の「須佐之男命」と同一人物です。わけわかりませんよね。

このお話では、『天岩戸』高天原を追われたスサノオ出雲ではなく中国に渡り鍾馗大臣と名を変え時の皇帝を救ったというパラレルワールドな設定が追加されてます。

 

なんでこんなタイムリープが発生したかというと、どうも“病を治した”っていう記述がポイントらしい。

 

歴史の授業で習ったと思うんですけど、平安時代の思想神仏習合本地垂迹説」って聞いたことないですか?

ざっくり言うと、日本神話の神様たちと仏教説話の仏様たちは超似てるから実は同じなんじゃない?→てことは仏様のJapanese ver.=神様なんじゃね?という割と横暴な理論のことなんですけど、この時スサノオには牛頭天王が割り当てられたことに起因しています。

 

牛頭天王はかなりパンチのきいた神(?)様で、助けてくれた人は末代まで守るけど、テキトーにあしらったヤツは一族郎党皆殺しにしてやるという二面性を持っています。スサノオDQNとヒーローの相反する顔を持つため、この二人の神様を一緒にしちゃったわけですね。

牛頭天王には超有名な蘇民将来伝説」があって、赤絹の房を下げた茅の輪と『蘇民将来之子孫也』と書いた札を門前に飾れば災厄を逃れられると伝えられており、これが「茅の輪くぐり」や「端午の節句」の起源にもなったそうです。また、牛頭天王は疫病を司るため、これを丁重にお祀りすれば蘇民将来のように末代までお守りくださるとされ、厄除けや病魔退散の神様として崇められています*1

 

つまり、鍾馗大臣=病気平癒&病魔退散=牛頭天王スサノオとなったらしい。

 

こんな感じで、神仏習合」がさらに「神仏習合」したというカオス状態なんですが、神楽自体は非常にシンプルかつあっさりとまとめられており、その点では理解しやすい演目と言えるでしょう。

 

 

 

【後編】に続く。

 

*1:なんでこんなに小難しいことをベラベラお話ししたかというとですね!!この「神仏習合」の影響が色濃く残るお祭りが須佐町にあるすごいパワースポット・須佐神社で毎年行われていて、「蘇民将来」のお札も大祓の「茅の輪くぐり」もあるからなんですよ!!すごくないですか!!シビれます!!すごいしか言えない!!ボキャ貧!!涙

【大江山雑学】私はピルクル派

本ブログを始めて1ヶ月が過ぎました。初めてスターやレビューを頂き、おっかなびっくり、大変うれしく思います。

特にコメントの方は、テンション崩壊気味なただの自己満ブログにお褒めの言葉を下さり、まことに感激しております。『大江山』、最後まで楽しめましたでしょうか?神楽を一層楽しむための手助けになりましたら幸いです。まだちょっと機能を使いこなせてないので、この場をかりてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

 

少しずつではありますが、アクセス数も伸びてきております。本ブログに興味を持って下さった方、アホみたいな長文を読破して下さった方、間違ってクリックしちゃった方、お越し下さりありがとうございました。この調子でゆるゆるがんばっていきたいと思います。

 

 

さて、いつもは一日平均0~2アクセスというほぼ私の日記状態の本ブログでしたが、先週末は土日合わせて約50アクセスもありました!!どうした!?週末は多少アクセス数が増える傾向にあるんですけど、良くて8くらいだったのでただただ驚愕。

そのころ私は「ン゛のぼりくるゥ!!のぼりくるゥ!!」と言いながら、「あーあー、もう1、2コでやめちまおうかな~」(←ただの飽き性)と前回記事を書いてたのでドキドキが止まらなかったです。

いやほんと、こちらこそタイムリーにヤル気を頂きまして、みなさんには重ね重ねお礼申し上げます。

 

 

なんでこんな僻地・島根県西部の山の中みたいなブログに迷いこんじゃったんだろうとアクセス解析してみると、みなさんなんだか『大江山』が気になるらしい…。そしてその理由は、ちょうど石見ケーブルビジョンで去年の競演大会の様子が放送されていたかららしい…。そして私は「ン゛のぼりくるゥ!!」と言いつつ前回記事を書きながら、実はこの模様をバッチリ見てました(笑)。

 

大都神楽団さんによる『大江山』、面白かったですね!!キャリア的にはまだまだ新生(注:他が超長いだけ)ですが、ほぼ毎週末、道の駅などで公演を積み重ねてらして、貫禄出てきたな!!って感じでした!お客さんとの距離感も絶妙でとっても楽しかったです。

ただ、どーーーしても気になるところがありまして、あの、例の宴会シーンあったじゃないですか、きゃわゆい子鬼さんがヤクルト飲んでたじゃないですか、あのとき、あまりにもナチュラルにヤクルト出てきたから、その瞬間頼光がヤクルトレディにしか見えなくて(ごめんなさい)。山伏版リュックに保冷機能ついてそうだなって(ごめんなさい)。

 

何はともあれ、大都神楽団さんこれからも応援してます!!!どうかご無礼お許しください(平謝り)。小鬼さんたちも腸内環境整えて立派な鬼になってね!!

 

 

ってなわけで、今回はみなさまのニーズにおこたえしてもう少し『大江山』やります。こらそこ、下心丸出しとか言うんじゃありません。ヤクルト飲んでおとなしくしてなさい!

 

 

前置き長かったから、サクッと行くよ!!それでは、レッツ雑学!!

 

まずはおじさんいろいろから。

本ブログでおじさんといえば、かの有名な八幡大明神おじさんのことを指します。(理由は【大江山解説】【紅葉狩解説】参照。)

前回私は「おじさんの正体は八幡大菩薩の権化とか遣いですぅー」と紹介しましたが、なんかいろいろ設定が違うじゃないですか。農民とか長老とか周辺住民とかなんなんだ!!さんそうろう、それがしは一体誰なんじゃい!!

でもまぁ、ここらへんは創作の範囲内。『戻り橋』や『羅生門』に比べれば、おじさんいろいろなんてきゃわゆいものです。さっと流しましょう。

 

ここで一行に渡される胡散臭いスペシャルなお酒の銘柄は「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」。読んで字の如しです。wiki先生にも同じ記述があったので、これは元のお話準拠でしょう。この設定はどこの神楽団でも一緒。違うの聞いたことないなー。

なんで“便”なんだろうと国語辞典を引きますれば、“便”とは都合のよいものという意味を持つらしい。「便利」とかあす楽便とか。このお酒やっぱりヤクルトだったんじゃ…?腸内環境を良くするんじゃ…?と思った私を誰か生温かい気持ちで許してください。

 

そんなこんなで鬼の棲処に辿り着いた一行は、宿敵・酒呑童子と対峙します。

この鬼面は酒呑童子面」といいまして、大きくて真っ赤な顔が特徴的。鬼面の中では珍しく、異様さや不気味さのない恐ろしくもたくましい顔つきをしています。ラグビー部のキャプテンみたいな感じだよね。(※イメージです。)

それがなー、最近は顔が赤くなくてギョロギョロした面が多いんだよなー。酒呑童子はお酒に鉱山!!真っ赤で精悍なお顔じゃないとダメなんだから!!あ、大都さんは酔っ払ってからちゃんと真っ赤な面に変えてたね!目も光ってたね!(ヨイショ!!)

 

酒呑童子面」はバカでかくて踊るの大変そうですが、最近は広島の影響あってか、さらに巨大化の傾向にあります。

本来ならば、面は演目が進むごとに大きくなるという決まりごとがあるそうなんですが、酒呑童子でMAXのような気もするし、この決まりをきっちり守ってるとこもあんま見たことないような?髪の毛がブワァッサァァッ!ってなってるから大きく見えるだけなのかな??*1

親分は周りの子分たちに負けないよう迫力MAXでないといけませんので、面が巨大化していくのはある程度仕方ないかなと思ったり。

 

ところで、お面って面白くないですか??お面についてのアレコレ、いつかちゃんとやりたいです。いつか。

神楽面って基本顔一緒じゃね?使いまわしてね?って思っちゃうけど、それは勘違い。よーく見ると全員顔違うんだなー。すごいでしょ。

演目を追うごとに面が大きくなるというのも、若かりし日の八幡おじさんの武勇伝・『弓八幡』の「八幡面」はなんでもオリーブオイルかけちゃいそうな超小顔だけど、『大蛇』の須佐之男命さまはお顔もおヒゲもドォォン…!!って感じですよね。個人的には『鍾馗』の鬼・「疫神面」が意外に大きいことにびっくりです。鍾馗の鬼は小さいイメージだったので。

 

話を戻して次は宴会シーンについてのはなし。

この前、記事書きながら色々調べて思ったんですけど…、なんか…、広島と全然違う。え?これ『大江山』?ってレベルで違う…。まじか…。

「登場人物みんなでワイワイするのが『大江山』の魅力ですぅー」って紹介したのに、鬼が3匹のとこもあったし、宴会シーンも短いし、どちらかというと身バレをごまかす尋問シーンが見せ場なのかな。確かに緊張感のあるシーンだけど、全員でグダグダするあの感じが良いんだよ…、お客さんもグダグダ楽しむのが良いんだよ…。

これなら『戻り橋』や『羅生門』の方が人気なのも頷けます。女形に面の早がえにドラマチックですもんね。

ちなみに、『戻り橋』『一条戻り橋』『茨木』羅生門『羅城門』、『大江山』から数年後の頼光最後の大一番『土蜘蛛』葛城山だったりと、演目名がいっぱいでややこしやー、ややこしやー。

 

まぁ今回一番の驚きは、たまに金太郎氏が消えることだね。

私と同じくらい金太郎氏の扱いが雑でびっくり。市場競争に淘汰されてまさかの金太郎 instrumental ver.もあるんですが、いないならいないで問題はなかった(爆)。

それに対し、石見神楽は専用の衣装があるくらい金太郎氏大好きで、衣装に金!!って書いてあって、ちょ!そんなとこに金!ってやっぱり金太郎氏は大事なお宝すみませんすみません自重しますごめんなさい痛いので大蛇のしっぽでぶたないでくださいヤクルトあげますから許してください。

 

(・・・金太郎氏がいないと見応えが減っちゃうなぁ、ってちゃんと思ってるよ。←ツンデレ

 

最後にみなさんが一番気になっているのは蜘蛛の糸と仕掛けでしょう。

蜘蛛の糸はまんま「蜘蛛の糸」あるいは「投げ糸」という名前です。ググったら「ペーパーストリーマー」っていうカッチョイイ呼び方もあった…。「あす楽」なら翌日お届けも可能ですので、ご家庭でもお楽しみいただけます。

蜘蛛が天井をバーッってなる演出は中にドローンでも入ってんのか?と思いますよね。実は客席側から天蓋(舞台上部にある、クリスマスカラーのヒラヒラがいっぱいついた天井。) をつたって幕内へと紐が通してあり、演目の前に客席側にいる蜘蛛の留め具を外し、口寄せシーンで幕内側から紐を引っ張るという単純な仕組みになっています。知らなかった!!

でもいつかドローン型蜘蛛とか発明されそうな気がしません?それならホール公演でも蜘蛛が見れるのでとっても嬉しいな!!

 

 

ざっとこんなもんですかね。モヤモヤにお答えできましたでしょうか?

 

今回はいつにも増して大変失礼な内容になりましたが、はじめが真面目すぎたのと、腸内細菌が不足していたのが一番の原因だと思われます。

関係各位の皆さま、大変申し訳ございませんでした乳酸菌とって深く反省したいと思います。

 

 

 

 

 

ビスコ食べて強い子になります。

 

*1:追記:この決まりは石西地方特有のものだそうですね。益田~西浜田は面が超巨大なことで有名です。体の半分くらいあるんじゃ…??ってくらいバカデカい。一方、石央地方、特に大元神楽はあんまり面を使用しないので、私が疑問に思ったのも当たり前でした。鍾馗大臣も面を付けずに舞いますからね。頸椎に優しい感じです。

【紅葉狩解説・雑学】合コンは戦場だ。

さむいさむい言ってましたが、ここ2、3日あったかいですね。ババアなので気温差がある方が体にこたえます。変温動物か。実はオロチなの…か…?気候が落ち着いてくれることを願ってやみません。

 

さて、お日和も良いことなので、今回は『紅葉狩』について。

紅葉狩りってキーワードに引っかかってくれないかなとかそういうことは考えていません。四季を愛でる風流な心でスタートです。

 

『紅葉狩』は厳密に言うと、石見神楽ではなく広島の神楽≒芸北神楽になります。島根の山間部の社中さんは舞うのかな?どうなのかな*1

まだ石見神楽のメジャー演目も解説してないのに!!この、バァホ!!という声が聞こえてきそうですが、この時期逃したら二度と書けない気がするのでせっせと解説&雑学したいと思います。特別出演的な、エキシビジョン的な感じで読んでください。

 

まずは、広島の神楽について、ざっと説明。(前に書いた記事もご参考までに。→【小ネタ】)

 

広島の神楽って、ハッキリ言ってすごい面白いですよね。派手だし、何言ってるか分かりやすいし、舞も囃子もレベルが高くて、まー文句のつけようがない。完成度高ェなオイ。

なんでこんなに面白いのかといえば、とりわけ広島はショーとして発展してきた歴史を持ち、より大衆向け・お客さん向けの神楽を舞ってきたから。市場競争にもまれまくってるからですね。

歌舞伎の影響をモロに受けているため、演目・衣装・演出はまさに豪華絢爛。特に「白塗り」という化粧をして舞うのが石見神楽との一番の違いです。この特色を生かして、「姫もの」「鬼女もの」と呼ばれる女形がメインの華やかな演目を得意としています。

 

石見神楽の華が『大蛇』ならば、芸北神楽の華は間違いなく『紅葉狩』。得意の「鬼女もの」かつ、ストーリー展開もテンポ良く、十八番の「面の早替え」もあってとってもおススメ!!私的には、あんま演劇っぽいシーンがなくて、サクッと化けて戦って殺られるところが、この演目の一番評価したいポイントです。←横暴

 

 

いやいやいやいや、素敵なんだから!!『紅葉狩』!!レッツ解説&雑学!!

 

 

この物語の舞台は、信州は戸隠山――紅葉の錦彩る山中にて始まります。

戸隠山ググってみたけど、なんか岩山っぽいごつごつした感じですね。ホントにここで紅葉狩りしたの?「戸隠」とは前回の『天岩戸』天照大神を岩戸から引っ張り出すとき、天手力男命がぶん投げた扉のことらしいですよ。お、偶然にもナイスバトン!!ちなみに、戸隠神社の御祭神は龍神さまです。

 

冒頭、偉そうな人が登場しますが、この2人、ただの迷子だからね堂々としてんじゃないよ、もっと焦ろうよ。

チーム方向音痴のリーダーは信濃守・中納言平維茂(たいらのこれもち)お付きの人は清原さんか小松さんかな信濃=信州=自分の赴任先で、

「鹿狩り行こう!→紅葉キレイ!→ 迷子になった…  ←今ココ 」って状態です。

 

この神楽の神楽歌は百人一首でおなじみ、

「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」

ぴったりすぎてちょっとワロタ。すさまじきぼっち感(笑)。他の演目と比べ若干頼りない2人ですが、無事におうちに帰るため、麓目指してがんばって山を下っていきます。

 

ところ変わって、怪しげなスモークの中から3人の鬼女が登場。

「あー、なんか腹減ったわー。山で迷子になったヤツ取って食うかー。」

「さんせーい。」

マック行こうかみたいな軽いノリで、一瞬にして、恐ろしい鬼女から豪華絢爛な打掛をまとった美女に変身します。

これは「面の早がえ」と言って、広島のお家芸の一つ。ふつう、面は紐でしばって頭の後ろで固定しますが、紐のない「くわえ面」という面を使用します。その名のとおり、面の裏側に口でくわえる部分がついているため、一瞬で取り外し可能な優れモノ。「くわえ面」あっての面の早がえです。

仕組みは分かってもなかなか見破れないところが広島のすごいところ。手を使わずに変えたりするもんね。どうなってんのアレ?ハンドパワー?

 

美女に化けた鬼たちが「早くカモこねーかなー」とウロウロしていると、ついに獲物を発見。

そして私の大好きなセリフ!!

「良き酒肴が…、ン゛のぼりくるゥ、のぼりくるゥ!!!!!

イェーイ!のぼりくるゥ!もう大好きさ!ン゛ってなるところと、るゥは巻き舌なのがポイントね!レッツトるァイ!「ン゛のぼりくるゥ、のぼりくるゥ!!」フッフー!!

 

 

 

・・・落ち着こうね。(深呼吸)

 

みなさんお察しの通り、この獲物は維茂です。下ったんじゃないのかよ、のぼりきてるよ。鬼たちは急いで合コン宴の準備を始めます。

 

ずんずんのぼりきた維茂一行は、とびきりの美女に遭遇。

「こ、こんなとこで何やってるんですか?」

と必死にナンパします。でもまぁ、気持ちは分からないでもない。今まで迷子だったもんね、そりゃ誰かに会えて嬉しいわな美女ならなおさらな。しかし、維茂は思ってたよりもしっかりしていて、こんな寂しい山中で女性だけなんておかしいと疑問に持ちます。

これに美女は艶然と答えて、いわく。

「紅葉がきれいで見とれてしまっていたの。アナタたちも一緒に紅葉狩り、しよ?」

まさかの逆ナーーーン!!おーーーっっと、慣れてる、慣れてるぞ大王どの!!あざとすぎ!!女に嫌われるタイプ!!でもさー、こーゆーのにほいほい引っかかるよねー、男はさー。今も昔も変わらないねー、男はさー。

 

そうして、良い典型例・維茂はあっさり紅葉狩りの酒宴へと招かれて、鬼女たちにそれはおいしく食べられましたとさ。おしまい。

 

 

 

 

 

うそうそうそうそうそ。うそです。まだ続きます。

 

 

空には赤く色付いた紅葉、地上には天女のごとし美女、手には美味い酒。

高級クラブかよ、このセレブめ!!(※維茂はセレブです。) 酒がすすむわ、すすむわ、維茂もお付きもほろ酔い気分。

紅葉の枝を持って踊ってくれるとこもあって、お客さんもみんな紅葉狩に来た気分。酔わせるねー!神楽団によっては、この辺でチラッと鬼女になったりして最高ですー。チラッとで良いんですよ、チラッとで。

 

べろんべろんになった維茂たちは、ついに眠りこけてしまいます。

 

よしきた!!イッシャーー!!きたきたきたきた!!とばかりに、腹をすかせた鬼女たちはついに本性を現し、狂喜乱舞。久々の酒肴が若い男の生き血とあってか、テンションアゲアゲです。完璧なコンビネーションで仕留めた獲物、いざ喰らわん、と維茂たちに襲い掛かった、次の瞬間。

 

 

謎のおっさんが出てきて、鬼女たちを追っ払ってしまいます。

 

この謎のおっさんは『大江山』でも登場した武勇の神様・八幡大菩薩。(石見神楽では『弓八幡』の主人公。) おっさん、オイシイとこ全部持ってくなー。神様だからなー。神楽では手に持った幣で維茂たちを泥酔状態から復活させますが、本当は絶対ビンタしたっしょ。これも維茂の日頃の信奉のお陰かな。どうかな。信じる者は救われる。

 

心優しき八幡大菩薩の活躍によって一命をとりとめた維茂は、授かった神剣を持って鬼女討伐へと向かいます

 

ここから一転、バトルモードに。鬼女も完璧に鬼の面・衣装に様変わり、優美な世界観から火花舞い散る激闘へ、ラストスパートまで一気に駆け抜けます。

 

前半の鬼女の子分戦では「2対2」のオーソドックスな舞を披露。4人が前後左右入り乱れながら剣を交わします。

みんなが真ん中のほうでごちゃごちゃするやつ、あるじゃないですか。ぶつかるー、ぶつかるー、ぶつかりませーん、ってなるやつ*2。あれは単純に前から来る人を左へ左へとよけているだけらしいですね。

まぁ、知ったところで絶対ムリよ、怖いもん。しかも、鬼面って片方の目からしか見えてないんだってね。すごくね!?なんであんなガンガン踊れるの!?本当に本当に尊敬します。いっぱい練習してるんだろうなー。

 

後半のラスボス・鬼女大王戦は「2対1」のやや変則な3人舞。

鬼女大王がバーンと登場して蜘蛛の糸がジャーンと降って、うむ、贅沢じゃ!!この演出、広島では割とテンプレ化してますよね。いっつも思うんだけど、幕内から鬼が出てくるときに、神がカーテンみたいに蜘蛛の糸を上げててワオ紳士的。まるでお姫様扱い。私も蜘蛛の糸出せるようになろうかしら。

 

せっかくジェントルにエスコートしても、ここが最大の山場派手な大立ち回りを見せなければなりません。

特に「鬼女もの」に関しては、前半部を女形や面の早がえで魅せる分、どうしてもそこに山場が行ってしまい、後半部が単調になりがちという弱点を抱えています。

ここをいかに情熱的に舞うか、かといって激しすぎれば良いというわけではなく、きちんと間を取ったメリハリのある立ち回りが必要で、このバランスが難しいところ。

石見神楽は前半部は割とぽけーっとしててもいい(横暴)ので最後の最後に全力投球できますが、前半部に気を遣う技や所作が求められる分、役者の集中力や疲労度の配分が難しいだろうと思います。なので、一役に二人つける場合もありますが、そうはいかないときだってあるしね…。うーん、胃が痛い…。おなか減ったな…。

 

そういう裏事情も抱えながら、見事、維茂は鬼女大王を打ち取ります。

激闘を見事に舞い切れば、本物の熱演。拍手・歓声・指笛の雨あられ。役者冥利に尽きるなぁ。でも、最後の最後の喜びの舞はぐるぐる回りすぎてふっとぶんじゃないかと思う。ものすごいGがかかってそう。

 

 

そうして維茂は、無事におうちへ帰ったのでした。めでたし。

 

 

 

いかがでしたか、『紅葉狩』。面白いっしょ!!目が離せないっしょ!!

 

今回は広島の神楽をご紹介しましたが、石見神楽と芸北神楽はとっても近い関係にあるので、島根でも広島の神楽が見れるし、逆もまた然りです。

wiki先生によると島根県西部から広島県北部にかけてさかんに行われる神楽は全部石見神楽なんだって。地元民としては全く別物の感覚なので、横暴すぎな気がしますが、それだけ密接な関係が保てている証拠なのかもしれません。

 

特に、石見神楽に見飽きたお年寄りは、年に1回か2回、競演大会で見ることのできる広島の舞いを心待ちにしてる人、多いんだそうな。

 

 

 

広島の神楽は“特別”出演。ぜひ一度、ご鑑賞あれ。

 

石見神楽よりハマっちゃうかもよ??

 

*1:追記:山間部の社中さんで保持演目にされてるところありましたね!勉強不足で申し訳ありません。ただ、広島の様式で舞われているようでしたので、やはり『紅葉狩』は石見神楽と言うよりも芸北神楽固有の演目に分類されると思います。山間部では広島弁を使いますし、文化的には北広島地域とそっくりですよね。買い物もパルコの方が良いものいっぱいありますしね。

*2:「八つ花」のこと。