【大江山解説②】高等遊民はかく語りき
なんか色々調べてたら約一週間も空いちゃってましたね!!別に解説そっちのけで神楽見てたとかじゃないですから!!解説するためにリサーチしてきただけですから!!視察ですから!!…よし、言い訳はこのくらいにして、今回は真面目に解説書きます。
『大江山』について、の続き。
この記事書くにあたり、一応適当なものは出せないので一応DVDを確認してみたらば、ん?スペクタクル・ファンタジィ足りなくない??…なにこれ…(混乱)ってなったのが解説が2つになった理由です。うーん、でもー、調べてみても全然スッキリしないよ。今回は消化不良かつローテンションでスタートです。うーーん。
まず、わたしが何をそんなに疑問に思ってるかというと、
①『大江山』の前日譚である『戻り橋』・『羅生門』の時系列が分からない。
(『戻り橋』→『羅生門』なの?それとも『戻り橋』だけで完結するの?)
②そもそも、腕を取られたのが誰なのか分からない。
(酒呑童子の右腕の茨木童子の左腕だか右腕だかが取られたっていう時点でそもそも分かりにくい。)
っていう初歩的謎。でもこの謎に共感してくれる玄人ファン多いと思うんだなー。
まぁ、単刀直入に結論から言ってしまえば、
色々ある。
これに尽きる。各神楽団によってほんとうにさまざまっていうのがアンサーです。
じゃあ、なんでこんなに色々あるかというと、この神楽自体が能や歌舞伎をもとにしているため、脚色されている部分が多々あるから。
古事記や日本神話を基にした神楽と違って平安以降の物語は創作の幅が広い、と私は勝手に思っていて、どこの神楽団が舞っても大蛇や岩戸がほぼ同じなのに比べ、頼政や黒塚ではかなりバラつきがあるのはそのせいかな?と思っています。
前者は神様に捧げる奉納舞=神事がルーツですが、後者は能や歌舞伎=芸事にインスピレーションを受け神楽化したものなので、面白い方がいいじゃん?って創作するのはそりゃ納得。実際、戻り橋や羅生門をはじめ、滝夜叉姫、紅葉狩などの演目は広島の神楽団が得意としており、これらの演目は後者にあたります。
広島の神楽は面をつけず白塗りで舞う歌舞伎のような神楽なのが特徴。石見神楽でこれらの演目を見ることがほぼないのは、このような理由からでしょう。夜神楽でも『大江山』は鉄板なのに対して、『戻り橋』や『羅生門』は競演大会で広島系の神楽団が舞っているところしか見たことがありません。
以上をみてみると、①の時系列がまちまちで、『戻り橋』が先なのか『羅生門』は後なのかよく分からないという疑問、この2つのお話が1つにまとめられていることがある理由、②の腕を取られたのは酒呑童子なのか茨木童子なのかという謎に対して、一応回答が出せそうです。
現時点での結論では、より面白くしようと各神楽団で脚色がなされていった結果、このように様々なあらすじが出来た、ということにしておきましょう。
では、本当はどうなのか。
神楽の元になった能や歌舞伎ではどう描かれているかと言うと、
『大江山の戦いから逃げ落ちた茨木童子は、一条戻り橋で女に姿を変え渡辺綱を襲ったが腕を切られる。その後、義母(伯母)に化け腕を取り返し愛宕山に飛び去った。』
…って、前日譚でもなんでもねーじゃん!なんなの!?酒呑童子も羅生門も全然カンケーねぇ!!てか、綱様との因縁は!?それじゃただのメンヘラだよ!?
ってな具合にどうにもわたしの萌え探求心が満たされないので、今まで見てきた『戻り橋』・『羅生門』・『大江山』をまとめると、
「京の北にある戻り橋に夜な夜な鬼が出ると噂を聞いた渡辺綱が夜中に橋のたもとへ通りかかると、一人の美しい女がいた。どれ私の馬で家まで送ってやろうとその女の手を取ると、女はみるみるうちに鬼となり襲いかかってきた。しかし、綱は慌てることなく太刀を閃かせ、鬼の左腕を両断した。
痛みに耐えかねた鬼女は姿をくらまし、無事、都の平穏を取り戻したと思ったのも束の間、今度は仲間の鬼が綱の義母に化けて腕を取り返しにやってきた。
2匹の鬼の正体が酒呑童子とその配下、茨木童子だと知った頼光一行は、鬼たちの逃げ去った方角・大江山へと急ぎ向かうのであった――。」
こんな感じですかね。大体こんな感じ。
酒呑童子が腕を取り返しに来るシーンが羅生門だったりするので、今までの流れを総括すると、『戻り橋』→ (『羅生門』) →『大江山』になるでしょうか。もちろん「戻り橋」のお話そのまま「羅生門」とする場合もあるので、『戻り橋』≒『羅生門』→『大江山』の方が良いかもしれません*1。
でもね、これだけは一つ言いたい。
これでは萌えスペクタクル・ファンタジィが足りない。
いやいやいやいや(←うわずった感じで)、いきなりすぎだから!物語が突然始まりすぎだから!初めての邂逅みたいなのないの!?てか、パート1も2も主人公綱様じゃね!?まぁ、それはいいよ。でもさー、部下の腕を取り返しに来るってなんか…ねぇ…。茨木童子は女の鬼だったっていう説もあるけどね…うん。ハッキリ言って、そういうのは求めてないんだよね。ということで!!私が推すスト―リー展開はこちら!!
「大和の国・葛城山に巣食う土蜘蛛征伐にやってきた頼光一行。土蜘蛛の左腕を切り落とすが、手負いの土蜘蛛は残党を引き連れ京の方角へと姿を消してしまう。
その正体が酒呑童子が一味だと知った一行は急ぎ京に戻るが、土蜘蛛の邪気にやられた頼光は熱病にうなされ動くことができない。切り落とした左腕は綱が保管するが、戻り橋で美女に化けた茨木童子に襲われる。
これを退け、敵の襲来を悟った綱が自宅に戻れば、そこには義母に化けた茨木童子がいた。綱から左腕の在り処を聞き出した茨木童子は、酒呑童子の左腕奪還を果たす。
八幡大菩薩の力により何とかこの場に駆け付けた頼光は一行を率いて、茨木童子が逃げ去っていった方角・大江山へと向かうのであった―――。」
ってゆうのが、いつかわたしが「大江山3部作」を連続で見た時のストーリーだったんだけどなーーー。妄想だったのかなーー。
全然違うお話『土蜘蛛』という演目がムリヤリ登場してますね。これは能でも歌舞伎でも伝承でも「大江山の酒呑童子伝説」と「葛城山の土蜘蛛伝説」は完全に別個です。
だから、上のお話は完全なるフィクションなんですが、前後の話と整合性が取れてるし、本来なら後のお話である『戻り橋』が上手に組み込まれてるし、非常に完成度高ぇなオイ、って感動したのを覚えてるんですが…、どこさがしてもこの話の流れはなかった…なんで…だ…。
この3つのお話が気に入ったのをきっかけに、こうやって色々調べまくってるのに…な…ぜ…。10年以上前のことだからかな…。(´・ω・`)
ただし!史実に基づけば完全なるフィクションなんですが、そうそう一概に否定も出来ないんですよねー、これが。
酒呑童子は酒「天」童子とも書かれていたことから、その土地の有力な豪族であったとされ、また大江山は鉱山として古くから栄えていたと言われますし、酒を飲んだ時のような赤ら顔は鉱山病、つまりは鉱夫であることを表し、金属の精錬に必要な燃料=木は茨木童子の名前から読み取ることができるようです。
(※ちなみにこういう理由で鉱山はハゲ山になること必須なのですが、緑化にきちんと取り組み、持続可能な鉱山開発を進めていたのが、世界遺産に登録された石見銀山です。)
無類の酒好きという共通点から八岐大蛇の子孫なんて説もありますが、「八雲=やくも」や「土蜘蛛=つちぐも」というのは朝廷(日)に敵対する土着の民(雲)のことを指す場合もありますので、土蜘蛛=酒呑童子一派だというのは、あながち間違ってないんじゃないかな?
どっちも製鉄・精錬技術を持った土地の有力者=富裕層であることは間違いなく、朝廷の意向に従わない、いつ反乱を起こすか分からない危険分子だと見なされていたため、この物語は朝廷による地方豪族の反乱鎮圧を描いたものだとする見方が多いです。
こうなってくると、どこまでがフィクションなのか分からなくなってきちゃいますね。最初から史実が捻じ曲げられてたんじゃあね。
まぁ、結局何が言いたいのかと申しますと、こっちの方が綱様v.s.茨木やべーーー!!うひょーー!!美女に化けたり、お義母さん殺されたり、相棒の腕取り返しに来たり、なんだこれ綱茨?これに酒呑様が加われば無限大に。よしきた!!!これだよこれ!!もうトキメキが止まらないよ、wktk☆宇宙だ、これは。ヒャッハァーーーッ!!
…ってこういうことを日がな一日一生懸命考えて、この記事書くためにDVDとかパンフとか見直したりしてるところ、わたしはただのアホなのかなと思う今日この頃です。
ちゃんとしよう。